松本城

まつもとじょう



松本城がある場所は信濃の中心、松本平(まつもとだいら 盆地を信濃では平という)の中でも中心であり、 重要な場所であった。当時松本は深志と呼ばれていた。古来ここは「府中」であり開けていたが、室町時代には信濃守護 小笠原氏の住居 井川館の支城として城館が建っていたようである。
天文17年(1548)塩尻峠の戦いで 信濃守護小笠原長時はその時の本城、林城から逃げ、東信の村上氏を 頼っていった。松本一帯を手に入れた信玄は林城よりも深志城に注目し、駒井高白斎に命じて大改修を行い、その後30年間東信、北信 の進出拠点として利用した。
武田氏滅亡後小笠原長時の長男、貞慶が徳川家康の後押しを得てここに入り、城下町をさらに広げ天正年間(1573〜92)に この地を松本と改称した。
そして豊臣秀吉の時代天正16年、松本城には石川数正が入った。数正は文禄、慶長初頭年間(1592〜1600)に 天守、櫓を建て、ここに現在に見られる近世城郭としての松本城が完成した。

<場所>松本市丸の内
<行き方>国道143号深志2丁目信号北へ700m
<駐車場>周りの有料駐車場利用
<撮影日>2003年8月

現在遺構は天守閣、内堀、外堀と石垣、さらに市役所の東に総堀の一部が残っている。
復元されたもので黒門、太鼓門がある。
本丸、二の丸御殿の跡が瓦などを使用して表示してあるが、私が行った時には二の丸御殿跡には入れなかった。 聞くところによると、そこに復元御殿が建つ予定だそうで。



大手門 桝形虎口跡
女鳥羽川を渡った所が大手門。写真の左側が三の丸になる。 女鳥羽川はもともと城の北側を流れていたのを 信玄が改修して現在のような堀としての役割をする流れにさせた。
しかし現在も桝形の跡がしっかりわかるのはうれしい。

【左上】本丸黒門桝形二の門 平成元年桝形塀と高麗門(二の門)が復元された。
【右上】本丸黒門桝形一の門 昭和35年に櫓門(一の門)復元 当時はお金が無くて合板で造られていて、 柱をたたくと空洞なのがわかる! その為の接合部補強か黒と金の飾り具は史実に基づいたものではない。

【左上】二の丸太鼓門高麗門(二の門) 【右上】二の丸太鼓門櫓門(一の門)
ここは平成11年に復元された為まだ新しい感じがする。柱はムクの本物だ! 夏休み中の特別公開で櫓の中にも 入る事ができた。石落としの仕掛けに感動。


発掘調査後遺構は埋め戻されて、その上に表示がある。現在は立ち入り禁止。

【左上】総堀 現在は市役所の東に一部が残っているのみ。この内側が三の丸になる。
総堀の各虎口は大手口以外は丸馬出しであった。これは武田氏時代に造られたものであるが、現在は遺構は無い。
【右上】北門跡脇の井戸 総堀の一番北にくるとその東側の総堀跡に井戸がある。

【左上】天守北西側 埋門と埋橋 
【右上】本丸より天守群 向かって右から乾小天守、渡り櫓、大天守、奥が辰巳付櫓、手前の赤い欄干が月見櫓。

【左上】天守閣内部より本丸 御殿跡が発掘調査後埋め戻されたが表示がされている。
瓦の上に瓦が乗っているのは、冬にツララ、雪が上から落ちて瓦が割れるのを防ぐ為の工夫で寒冷地の城ならではのもの。
【右上】大天守    


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