松尾城

まつおじょう




康永3年(1344)小笠原貞宗の嫡子政長への譲状によって、小笠原氏がここを領有したことが文献に現れる。 この時点で松尾城が存在していたかは不明である。
松尾城が文献に現れるのは室町時代中期で、その頃松尾城小笠原定基が鈴岡城小笠原政秀を倒して 信濃守護職、小笠原惣領職を自分の物にしようとしていた。しかし深志小笠原氏等の連合軍に敗北し、 甲斐武田氏のもとへ逃亡した。
深志小笠原家は長時の弟の信定を擁立し、鈴岡小笠原家を再興した。 その後武田信玄の時代、天文23年(1554)に鈴岡城を落とし松尾小笠原定基の子信貴を松尾城主として、 松尾小笠原家は再興された。
そして、織田信長、徳川家康の時代には旧領を安堵されたが、家康の関東への国替えにより当時の松尾城主 信嶺も移封され松尾城は廃城になった。


<場所>飯田市松尾代田
<行き方>国道151号松尾毛賀信号を西へ入る
道なりに行くと飯田女子短大を過ぎ、左に三菱電機の工場が見える
工場を過ぎたら左折 約1qで松尾公園
<駐車場>二の郭公園に20台
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左上】主郭 周りを空堀が巡っており完全に独立している郭
【右上】主郭北側の石垣

【左上】二の郭の真ん中を突っ切る道 二の郭より三の郭方面
【右上】二の郭南側の部分 土を盛り上げているが建物があった跡であろうか。クラヤシキという地名が 残っている。

【左上】二の郭西側の空堀 左が二の郭、右が三の郭になる。
【右上】主郭と二の郭の間の空堀 現在道が通っていて三の郭から毛賀沢の谷側まで車で行ける。

【左上】本城 現在は民家が建っている。主郭よりかなり低い所で本城という名は付いているが、 どのような目的で使用されていた郭なのかは不明。
【中上】三の郭竜門寺跡 三の郭の南端に碑が建っている。三の郭は現在耕作地や民家などあるが、各郭は 空堀で区切られているので確認しやすい。
【右上】竜門寺跡から南側鈴岡城方面 毛賀沢川の谷を挟んで鈴岡城が見える。谷は急斜面であるが 主郭の南側には段郭があり防御態勢をとっている。

【左上】主郭東側の「サカヤシキ」郭の南側 ここもやはり南側は段郭が設けてあり、現在は耕作地に なっている。
【中上】「サカヤシキ」北側の北の沢川 こちら側は数条の竪堀がある。
【右上】「サカヤシキ」郭部分 ここは耕作地や竹藪、荒れ地になっているが、 主郭からサカヤシキ付近は開発はされておらず、堀切など山城の雰囲気がある。

【左上】南側毛賀沢川の谷 田圃が奥まで続く。奥に見えるのが鈴岡城。
【中上】三の郭北側 三の郭は大きいが、民家や耕作地にほとんどなっている。
【右上】城外の「南古城」付近より主郭方面 ここら辺が一番の高台である。

松尾城は現在主郭、二の郭は公園となっている。三の郭は民家、耕作地などにはなっているが、 だいたい遺構は確認できるようになっている。各郭、空堀、石積みなど観察すればするほど いろいろな発見ができる。城の東部分「サカヤシキ」の付近は山城らしい雰囲気なのでここは来たら見てください。


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