三日市場城
 みっかいちばじょう

《別名》 沢渡城・宮原城・大宮城 北安曇郡白馬村神城


※注意 2016年12月3日現在、三日市場城は2014年11月22日に発生した神城断層地震の影響により、崩落の危険があるため、神明社より上部は白馬村教育委員会によって立ち入り禁止措置がとられています。 


平安時代以降、「千国荘」が白馬盆地にあり、鎌倉・室町時代に入っても、千国街道(塩の道)が 通っており、越後との国境であることから、仁科氏が一族の重臣である飯森氏、沢渡氏などを送り込み支配していた。
武田氏が侵攻してくると沢渡氏は武田氏配下となり、『信府統記』によると沢渡兵部盛方が天文14年(1545)より、 この地を領して24年在居したという。
武田氏滅亡後の天正10年(1582)、小笠原貞慶が松本に入ってきたが、 9月に貞慶は沢渡盛忠に沢渡の地を安堵している。
同18年、小笠原氏の下総転封に沢渡氏も従っている。
【上】西側より三日市場城  松本・塩尻から糸魚川を結ぶ千国街道が通っており、城域西側の三日市場は中世この道沿いに 存在した市場だった。また、善光寺平に通じる道が城域北側を通る要衝の地であり対岸には 茨山城がある。

【左上】虎口付近  西側麓の神明社から尾根を登ってくると、城域南西隅の削平地に到達する。小郭が階段状になっており、 登っていくと平入り虎口のある三の郭に入る。
【右上】主郭  三の郭の東側、ピークに主郭があり、その周囲を二の郭が取り囲んでいる。北辺に土塁の痕跡が確認できる。

【左上】二の郭より四の郭方面  主郭東側に大堀切があり、その向こうに最も大きな四の郭がある。なぜか土塁がこちら側(二の郭側) に向けて築かれており、堀切の深さをさらに深くしている。
【右上】北側二重の横堀  斜面の高低差を利用したもので上の横堀は大堀切の北端から四の郭下に横堀となってつながり、下の横堀は城域北側から東側一帯を 取り囲んでいる。


【左上】城域東端  四の郭から見ると、北側の横堀が下を回りこんでそのまま南斜面へと竪堀となっている。その先に 自然地形の小郭があり、その先端を横堀が廻る。城域はここで終わっているようで、自然地形の尾根が東へ向かっている。
【中上】小郭先端の横堀、切岸  形状を見ると丸馬出しと三日月堀のようになっている。ただ、小郭の表面は地山を そのまま残しているような状態である。横堀の南側は斜面へ竪堀となっているが、北側は四の郭下の横堀下まで回り込んで行き止まりとなっている。
【右上】北面横堀  朝日村の武居城と同じ様式で、 横堀から繋がって竪堀が放射状に斜面を下っている。北側に 尾根が続いているため、その箇所では3条の連続竪堀となっている。


〜感想〜
横堀と放射状の竪堀の配置など武居城と非常に似ている。 しかし違うところもあり、三日市場城には東、西、北の尾根続きに武居城のような 堀切が見られない。東端部には横堀が二重になっており、その間には小郭があるため同じ機能を果たす。 北の尾根続きには3条の竪堀を連続させ、その先端部には小郭を設けている。 西側尾根は大手道と考えられているが、竪堀によって区切られた階段状の郭を設け、三の郭には唯一の虎口を設けている。

また、横堀を斜面に重ねようとしていることがうかがわれ、竪堀の間に横堀を設けている部分もある。この横堀は竪堀と接続しているが、 一端は行き止まりとなっている。このような横堀を重ねて行き止まりを造り、入ってきた敵を袋の鼠状態に追い込む 築城思想を考えると古宮城を思い出す。 城域を真ん中の巨大堀切で二つに分け、東側の尾根続きを四の郭を中心として横堀主体の防御とし、 主郭を中心とした西側は階段状の郭を使用している点など、相似している点が見られる。 四の郭の土塁が内向きなのも、大空堀に敵を誘導し攻撃する際のことを考えてのことかもしれない。かなり独立性の高い郭である。 古宮城は大きさがまったく違うため、比較するのは厳しいかもしれないが、武居城、古宮城の 築城思想のいいところ取りをしたように感じられた。

三島正之氏は「在地支配の拠点として長年使用された城ではなく、交通路の遮断と盆地内の監視を目的に、一時期に集中して 築かれた城である可能性がたかい」とされている。
築城年代としては、上杉謙信死後の跡目をめぐって「御館の乱」が勃発した際、勝頼が介入し越後西部の拠点として不動山城 (糸魚川市)を取立てると同時に、その進出ルート上にある三日市場城も新規に築かれたとされている。
なお、三島氏は沢渡氏の城は盆地西側にある城郭遺構だとして「沢渡城」を独自に取り上げている。〔「長野県・白馬村の中世城郭」〕

三日市場城の現在の遺構は三島氏の研究、現地の縄張りから判断して武田勝頼の時代に築かれたものと思われる。


行き方国道148号、沢渡集落から東側の三日市場方面へ (集落の案内標識あり)
三日市場神明社を目指し、社殿の南側に見える尾根を登っていくと約15分で主郭。
(はっきりとした道はついてません)
駐車場神明社下 路駐スペース有り
撮影日2006年8月
参考文献 『日本城郭大系』8
三島正之「丹生子城をめぐって」『信濃』第41巻11号 信濃史学会 1989年
三島正之「塩尻市南部の山城」『中世城郭研究』第7号 中世城郭研究会 1993年
三島正之「長野県・白馬村の中世城郭」『中世城郭研究』第10号 中世城郭研究会 1996年
参考サイト城と古戦場」、 「近江の城郭