南真志野城

みなみまじのじょう




築城年代については定かではないが、天文11年(1542)の時点では、矢嶋氏が城主となっていたことが、 史料上に現れる。
その後、天文17年7月、諏訪を占領した武田氏に対して反乱を起こした矢嶋氏をはじめとする西方衆は、小笠原氏と 通じながら、協力して武田氏追い出しに立ち上がったが、失敗しことごとく放火された。 この時に廃城になったと思われる。

【左】北東側より南真志野城方面
標高1032m、麓との比高は約220mもあり、諏訪地方の城の中では 御天城に次ぐ高所に位置する。 東側は野明沢川の浸食で形成された急崖となっている。
居館は尾根下、東側の「御屋敷」とよばれている場所、根小屋は現在の南真志野集落と考えられている。
<場所>諏訪市湖南
<行き方>県道16号習焼神社を西へ入る。笠原橋で中央道を渡り左折、 御岳橋の手前を右斜め後ろ方向へ。
ダートの林道を約1.2q、右側に緩斜面あり。
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』8、 『諏訪市史』上巻 原始・古代・中世 1995年


【左上】主郭  尾根の北東端の高所が主郭部となる。南側から西側にかけて土塁が確認できる。林道から主郭背後の尾根に登り、ここまで 約10分。
【中上】主郭北東側  主郭内部は2段になっており、北東側が低く数十センチの落差がある。
【右上】主郭下帯郭  主郭下には周囲を帯郭が数段取り巻いている。

【左上】主郭背後の堀切  主郭の土塁頂上部から堀底まで約8mはあると思われる。主要な郭は 主郭のみであるが、その周りの普請はかなり行われている。
【中上】堀切背後  写真は主郭方面の眺め。やせ尾根が80m程続き、その後はいっきに斜面は上がっていく。 やせ尾根の北側は急斜面の谷となっており、南側には帯郭が続いている。しかし、この部分は 植林によるものかもしれない。
【右上】林道反対側  主郭へは背後のやせ尾根に登る南側まで、車で林道を登ってくることがきる。 その谷側には郭らしき削平地がある。


〜感想〜
15世紀後半、文明の諏訪氏内訌 (干沢城参照)の時、真志野集落の軍事的役割は増大する。諏訪惣領家方はここに 有力武将である矢嶋氏を配置し、南真志野城を築城したと考えられている。 野明沢の谷に通る道は真志野南峠を経て後山集落を通り箕輪町に通じており、高遠勢(大祝諏訪継満勢) が築いた荒城 に対する付け城的役割もあったと思われる。〔『諏訪市史』〕
主郭背後の堀切、周囲を取り巻く帯郭など規模も大きく、小さいながらもしっかり普請されており、 遺構の残存状態もいい。



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