長窪城

ながくぼじょう





この城は室町時代中期応永年間(1394〜1428)に望月氏、大井氏または芦田氏によって築かれたと いわれるが定かではない。
この城が注目されるのは信玄が侵攻してきた天文12年(1544)以降である。その年城主であった 大井貞隆は信玄に降伏し、以後塩田城を攻略するまでの間、北、東信濃攻略の前線基地になった。
武田氏が滅亡したのち小県地方は真田昌幸の領地となり、天正11年(1583)に上田城を築き、 配下の武士を城下に集めた為、長窪城は廃城となった。



<場所>小県郡長和町古町字北小屋
<行き方>国道254号依田窪病院入口信号を入る
1q程行くと小さい案内標識があり、そこを右折
林道を500m程行くと搦め手口前
<駐車場>搦め手口に1台スペース有り
<撮影日>2003年9月
<参考文献>『日本城郭大系』8


搦め手口より入ると小さな郭が4段ありその間には堀切がある。二の郭が比較的大きなもので、その西側には 竪堀、帯郭が有るがそれは未確認。 主郭の北隅に石積みが見られる。南側は斜面が急で岩場が見られる。 南三の郭からさらに降りていくと馬屋と呼ばれる10*30m程の大きな削平地があり、その先が大手口になる。 城の東側は赤頭川によって天然の堀となし、南、西は急な斜面である為、あまり防御の必要も無いと見たようである。 残る北側のみなだらかな尾根が続いている為、郭、堀切を配置しているようである。
搦め手口から主郭まで10分 大手口から主郭まで10分


左上 二の郭 13*30mの城内最大の郭 奥が主郭になる  右上 主郭 高さ1m程の土塁上に石垣が見られる。

左上 主郭から西側の景色 佐久、諏訪、松本など各方面に抜ける道が走っており要衝の地である。   右上 南三の郭 岩場が周りにあり天然の石垣といった感じである。


左上 馬屋跡  右上 大手口 ここには何も案内板が無いが、前を通る町道を少し北に行くと長窪城跡の文化財指定 板とその脇に道祖神がある。


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