根井氏館
ねのいしやかた
《別名》 根々井館

この館は木曽義仲を支えた根井行親の館とされている。根井氏は東信濃に勢力のあった滋野一族望月氏の
支流で、ここを根拠地として牧場経営をしていた。
木曽義仲が挙兵した時、根井行親は義仲の養育者中原兼遠から引継いでその後盾となった。
それは信濃諸豪族を統制するためであり、根井氏の財力、軍事力が大きかったことがわかる。
行親は『保元物語』
『源平盛衰記』などに現れるが、活動の詳細はわからない。『盛衰記』では義仲の最後の戦いであった
宇治の戦いに敗れて討死したとしている。
根井氏滅亡後、この地は大井庄地頭大井氏の支配下となり、近世に入ると享保11年(1726)以来、
旗本水野氏の知行所となって、陣屋が置かれていた。
【上】館北面 現在、正法寺境内、宅地、耕地等によって遺構は見られないが、
字名、町割などにその痕跡が残っている。館域すぐ南側は湯川が蛇行して流れ、東西も囲まれては
いるが、北と南側対岸は段丘となっており低い土地である。
<場所> | 佐久市根々井 |
<行き方> | 県道139号中佐都橋北側を西へ入り、正法寺を目指す |
<駐車場> | 正法寺 5台 |
<撮影日> | 2005年9月 |
<参考文献> | 『日本城郭大系』8
畠山次郎『木曽義仲』銀河書房 1981年 |
『根井氏館要図』


【左上】正法寺 館域のほぼ西半分を占めている。古くは館の東北部段丘下にあったといわれる。
【右上】東側より正法寺方面 東側は耕地、宅地となっているが、館域を取り巻くように道路が
通っている。
【左】根井行親供養塔 正法寺北側の墓地内にある。
〜感想〜
館の周囲は田園地帯で、当時を偲ぶものは根井行親供養塔しかない。正法寺墓地の西側がやや高台に
なっているのは、土塁の痕跡か。
湯川沿い北東約2.5qには大井城、
西へ約2.5qの所には岩尾城があり、根井氏の後、
この地にも大井氏の館があったようで、文献上にも登場する。『大系』では現在残る町割は
この時代のものであるかもしれないとしている。
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