祢津城(上の城・下の城)
 ねつじょう

東御市祢津



祢津城がいつ頃築城されたかは定かではないが、この地域を拠点としていた祢津氏は、平安末期には文献上に登場する。 保元の乱(保元元年、1156)に源義朝に従う信濃武士として祢津神平があり〔『諏訪大明神画詞』〕、 以後各時代にわたって一族の名が見える。
天文10年(1541)諏訪頼重・武田信虎・村上義清らに攻められて敗走。以後、武田信玄に仕えるが、天正10年(1582) の武田氏滅亡後は 北条氏に属し、徳川方となった真田氏と祢津昌綱が交戦している。
しかし、翌11年頃には真田氏幕下となり、以後、同氏によって重用された。

【左】祢津城 南側より  北部山地から南西方面へ張り出した尾根先端部に下の城、その奥約900mの所に支尾根が東側に出ており、その 頂上部に上の城がある。

〜下の城〜


【左上】主郭  尾根先端部にあり、土塁に囲まれ石積みも確認できる。その下には帯郭が数段とりまいている。
【中上】西方面  千曲川に沿った平地とその先には上田方面が一望できる。
【右上】東方面  小諸方面が一望できる。麓の集落内の地字「古見立(ふるみたち)(古御館)」が 祢津氏の居館跡と推定されている。また、『東部町誌』では古見立の館を祢津氏前期の館と考え、 その後、北方の「宮の入」地籍へ館を移したとされている。



【左】南西方面の眺め
麓には禰津道といわれた要路が通り、南西方面へは諏訪や松本へと通じる道が通る交通の要所である。
下の城主郭からはそれら街道筋が一望できる。



【左下】主郭背後の堀切  主郭背後の尾根上には郭が続き、その間には巨大な堀切がある。

【右下】二の郭北側下の腰郭  二の郭北側の腰郭は土塁を伴って東側に回りこんでいるため横堀状になっている。



〜上の城〜


【左上】上の城 南西側より  背後の北側は緩やかな尾根続きとなっているが、こちら側からみると独立した山に見える。 下の城との間の尾根上には現在耕作地が広がっている。途中に堀切らしい部分もあるが、城としての遺構かは判断しがたい。
【中上】下段帯郭北側  山頂部の楕円形の主郭を中心として、帯郭が2段主郭を同心円状に取り巻いている。しかし下段東側は斜面が急な為か、 明確には残っていない。一部に土塁が残っており、北側に虎口らしき部分が確認できる。
【右上】上段帯郭西側  上段の帯郭には西側を中心として縁辺部に土塁が確認できる。
全体的に藪に覆われており、特に主郭部分は写真撮影できず。削平が完全ではなく、大きな石も残っており、何も知らずに この地を訪れたら、城跡とはわからないかもしれない。


〜感想〜
下の城と上の城との中間部の支尾根先端部に宮嶽山陵神社があるが、ここに砦があったという。〔『大系』『町誌』『信州の山城』〕
「宮の入」居館推定地は 城域東側谷筋の奥にあり、上の城、下の城からの距離はほぼ同距離で、宮嶽山陵神社の麓に近い。
諏訪地域にも諏訪下社大祝金刺氏の城といわれる上の城・下の城があり、 そこの上の城はこちらよりずっと規模が大きいが同心円状の縄張りを持つ。いずれにしてもこの地域には珍しい縄張りである。
祢津氏は神氏を名乗る鎌倉時代からの在地領主であり、諏訪上社の 神氏だけが受け持つ特別な頭役である神使頭役も勤めている。 下社側の城といわれているので、やや無理があるかもしれないが諏訪の上の城の縄張りが影響を与えた可能性もあるのではないか。
現状を見ると祢津の上の城は防御性には乏しい。それに対して下の城は普請の規模が大きく、城域北端部には発達した竪堀も確認できるため、 最終的な普請はずっと時代を下るものと思われる。主要街道に面し、周辺域の見通しの良さも抜群であるため、武田氏統治時代以降も使用されて いたのではないだろうか。


行き方 (下の城)県道4号西宮信号を東へ入り、約240m先北へ入る。下の城東側へ回り込むと中腹に向けて
登り坂となり、途中に下の城登山口の案内板あり。徒歩約10分。
(上の城)西宮信号を東へ入って約100m先斜め後方北へ入る。下の城西側へ回り込み、姫子沢集落
を 抜け、舗装林道を登って下の城背後の尾根上にでる。約400m北上すると右側に砂利道林道入口
があり、約600m先、上の城北側尾根から徒歩約10分。(道はついていないので要注意)
砂利道林道はかなり状態が悪いため、入口部分のやや広い所に路駐し、歩いていったほうが無難かと 思います。
ジムニーが通りすぎるのは見かけましたが・・・。

駐車場下の城 登山口前に駐車スペース有り 2台
上の城 路駐
撮影日2006年8月
更新日2006年11月12日
参考文献 『日本城郭大系』8
東部町誌編纂委員会編『東部町誌』歴史編上 東部町誌刊行会 1988年
信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センター 1993年
参考サイト上田・小県の城」、 「城と古戦場