西通山城
にしかようやまじょう

《別名》  長野県北安曇郡白馬村西通


―破壊された西通山城―

現在、姫川護岸工事のため、川岸へ下る新しい道が敷設されているが、その際に西通山城の一部が削り取られてしまったようだ。

【左】西通山城全体
西側から撮影。右にカーブしている道が護岸工事のために新しく敷設された道。

『西通山城周辺域地図』




【左上】以前の西通山城付近の航空写真 [国土地理院地図(電子国土Web)より]

【右上】現在の航空写真 川岸へ下って行く道がはっきりとわかる。


【左上】主郭部から南西側下をみる
道が通っている部分は城域ではないとみなして道を通したのか、はたまた元々城の存在など念頭になかったのか…

【右上】城域の南西側から主郭方面
道の外側部分(城域内側)にも土砂が入っているようだ。


2014年、白馬村では三日市場城の遺構破壊をめぐる問題もあった(詳細は「長野県の歴史を探し求めて」三日市場城の破壊「らんまる攻城戦記」オフショット のページを参照)
先ごろ、宮坂武男氏が県立歴史館に山城資料を寄贈され、知事から感謝状が伝達されたことがニュースになっていたが、 白馬村の文化財行政担当者は果たしてこの意義を理解しているのであろうか「長野日報Web」)

西通山城については、これ以上の破壊が行なわれないよう願いたい。


―史料からみた西通山城―
西通山城に直接関係する史料はない。

『白馬の歩み』の中で、篠ア健一郎氏は当城について「北方約1kmの河岸にあった、小谷村川内下の物見(壊滅)と連係するものであろう」と推測し、 さらに「甲越合戦の頃に塩島氏に関する塩島城の支砦であろうと考えられている」と記している。


―立地―
白馬村中心部の「四ヶ庄盆地」から姫川下流の峡谷部に入ったすぐのところに位置する。 城域は姫川にのぞむ断崖上で、現在は国道148号によって断ち切られているが、元々は西側から延びてきた尾根の先端部にあたると思われる。


―現況―
【左上】城域西側
写真の道は以前からあるものだが、現在の国道部分も含めて城域西側付近はだいぶ改変されてしまったであろう。

【右上】主郭内部
南北約20×東西約13mの削平地。南端に「水神」の石造物が倒れていた。

【左上】主郭から北側の副郭を見下ろす
約3m崖下に約6m×9mの小規模な郭がある。

【右上】城域北側からの眺め
東側は姫川の流れによって、かなり削られてしまったと考えられる。本来の郭はもっと広かった可能性がある。


―感想―
宮坂氏は「往古、この姫川左岸にどの程度の道があったかわからないが、川筋の見張りも大事な任務であったと思われる」とする。 白馬村から小谷村への千国道(塩の道)は、姫川の支流である松川を渡ると切久保→落合→沓掛→千国と進み、姫川から離れて比較的平坦な山の中を通っている。
姫川沿いにも道が通っていた可能性はあるが、難所が多いことからメイン通りはやはり千国道であろう。
したがって、当時舟運が行なわれていたか不明だが、先行研究で既に述べられているように姫川筋の監視が目的の施設と考えられる。


行き方 国道148号、除雪ステーションの北側すぐ下。
駐車場除雪ステーションが駐車場
撮影日2016年12月4日
更新日2016年12月24日
参考文献 「白馬の歩み」編纂委員会編『白馬の歩み(白馬村誌)』第二巻 社会環境編 上(白馬村、2000年)
宮坂武男「西通山城」(同著『信濃の山城と館』第7巻安曇・木曽編 戎光祥出版、2013年)
参考サイト 「らんまる攻城戦記」