西条城・嵐城・飯縄城

にしじょう・あらし・いいづなじょう




西条城、嵐城、飯縄城は同じ尾根に連なる山城群で、城ヶ山山頂にある西条城が最も高所にある。
そこから北へ続く尾根、約1.2q下りてくると嵐城、さらに北東尾根を約600m下りた所に 飯縄城が位置する。

<場所>塩尻市上西条、中西条、下西条
<行き方>(飯縄城)国道153号塩尻町信号南へ
突き当たり慈光院、その東側常光寺背後の山
<駐車場>寺院駐車場借用 約5台
<撮影日>2005年11月
<参考文献>『塩尻市誌』第2巻歴史 1995年
『日本城郭大系』8

【上】城域北側の堀ノ内付近より  西条城の標高1199m、比高約450m、嵐城の標高1031m、比高約 290m、飯縄城の標高約930m、比高約190mという、長野県でも比高が大きい部類に入る。
城名は大正14年発行、昭和8年改訂『塩尻地史』の著者、堀内千萬蔵氏によって仮に命名されたものである。


〜西条城〜


西条城は城ヶ岳(洞峰)の山頂に位置し、周囲が一望できる。このことから物見台としての利用が 考えられる。また、尾根伝いに伊那、木曽方面へ行けるため、退路の確保をするための詰城とも 考えられている。

【左】松本平の眺め  写真中央に突き出た尾根先端部には 上野山城がある。 右手前は嵐城方面の北東 尾根で、飯縄城は死角になって見えない。

南側の大芝山からここまでは登山道が整備されている。北東尾根を下る道もあり、西側谷にある 山ノ神自然園へ登山道がついている。嵐城に行く場合は途中までその道を利用し、 登山道が西へ折れる所で尾根をそのまま下っていく。(整備はされていないが道は付いている)

【左上】山頂部の郭  南北にはしる尾根に2つの大きな郭があり、両端と郭間にそれぞれ堀切が 設けられている。
山頂部にしては比較的大きく約60×40m。北西側直下に堀切があり、北西、北東に尾根が続く。 堀底から北東尾根に出ると嵐城、飯縄城に通じる。また、堀切を渡り北西尾根側には小郭があり、 その先にも堀切が確認できる。
【中上】山頂部郭の南側堀切  反対の南側には二重堀切があり、山頂部の郭を防御する。標高1199mの 地にありながら、なかなか立派である。
【右上】南側の郭  二重堀切を越して痩せ尾根を約100m程行くと、もう一つ大きな郭がある。 ここには送電線の鉄塔が建っており、だいぶ改変を受けたであろうが、その先にも 堀切があることから、ここも郭であったことがわかる。


〜嵐城〜


【左上】郭  西条城から下ってきた尾根は嵐城の部分で東と北西に尾根が分かれる。その 分岐点に郭が一つ有り、西条城側の南側に土塁、大堀切、小堀切がある。
また、飯縄城へと下りていく東側には腰郭が2段、北西尾根側には1段確認できる。
郭内部はやや自然地形を残しているが、約60×30mで比較的広い。
【中上】土塁部分  堀底からは高さ約3mある。
【右上】大堀切  規模は大きく両端は竪堀としている。
嵐城は郭は一つだけだが飯縄城と西条城との間にある、 繋ぎの役目を担うだけの簡単な普請というわけではなさそうだ。
   

〜飯縄城〜



【左】北側麓より  嵐城から東尾根を途中北へ方向を変えながら下りてくると、飯縄城 になる。
主郭部が最高所にあり、そこから支尾根が北東、北西方向に分かれ、尾根上に郭が並び、二つの尾根に 挟まれた谷には無数の段郭が無秩序に広がっている。
写真は北側にある慈光院から北へ少し離れた所からのもので、中央頂上部が主郭、そこから 左右に支尾根が広がり、中央部が谷になる。
そして慈光院付近には削平地が何段もあり、根古屋的なものがあったと考えられる。

〜北東尾根〜

【左】北東尾根先端の郭  尾根上に約60mの長さで平坦地が続いている。飯縄城のうちで 最大の郭である。また、尾根上部の二の郭に向けて堀切が2条、その間にやや自然地形だが 大きな郭がある。
【右】二の郭  『塩尻市誌』で二の郭としているところで、主郭の下、東尾根の付け根部分に 位置する。背後には堀切があり、周囲には帯郭が取り巻き、北西谷側にはおびただしい数の細長い 削平地が確認できる。

〜主郭部〜

【左上】主郭  北東支尾根と北西支尾根の合流する要の位置にある。しかし、主郭は約8mはある 切岸によって支尾根からは完全に独立、防御されている。
周囲は土塁で囲まれており、北西側一部の土塁が切れており、虎口とも思われるが、導入路が 明確ではない。大きさは約30×20m。
【右上】南側背後の堀切  背後には大堀切が1条、そしてその南に小堀切が3条確認できる。
主郭背後に郭は無く、そのまま高度を上げて嵐城へと続く。


〜北西尾根と竪堀〜

【左上】北西尾根先端部の郭  主郭から北西尾根へは小規模な段郭が10段以上続き、 先端部にようやく規模の大きい郭がある。その両端部には堀切を配している。
『塩尻市誌』掲載の縄張り図ではその先端斜面に連続竪堀があるのだが、確認できなかった。
しかし、この郭は城域北西部で重要な郭であったのは、確かで、北側先端斜面、東西斜面共に 小規模な段郭がいく段も確認できる。
【中上】その段郭の一部で奥行きはどれも非常に浅く、深いものでも約2m。長さは大小かなり バラつきがあり、配置等も無秩序である。
【右上】竪堀  主郭下、二の郭背後の堀切から下っているものを はじめ、3条の竪堀が谷の部分へと収束していく。合流部分付近の写真で、さらに下方へと落ちていく。


〜根古屋部分〜

【左上】慈光院裏手の平坦地  現在、麓部分にJR中央東線が通っており、慈光院との間を 分断してしまっている。そのため、上部城域部分と根古屋部分との連続が明確ではない。
慈光院背後から東側にかけて広大な平坦地が広がる。
【中上】空堀  さらに慈光院東側まで下ってくると北西から南東方向に一直線で堀が通っている。 この堀より上部の平坦地が城主の館跡の可能性大か。
【右上】竪堀、竪土塁  慈光院の西側約80mの所には南斜面上部に向かって竪土塁と その外側(西側)に堀がはしっている。 途中で消滅してしまっているが、この付近一帯は慈光院付近を中心にかなり広い範囲で 城域内であるようだ。


〜感想〜
この3城の歴史に関しては江戸期に書かれた『信府統記』、前出の『塩尻地史』に城主、居館の場所 等が書かれているが、整合性が無く『市誌』、『大系』ともに疑問としている。
特に居館の場所として3城それぞれに場所を記しているが、西条城などは距離的にも遠い。
また、縄張りから見ても3城に共通点が多く、『市誌』の通り同時期に普請された可能性が高く、 同じ築城主体ではないだろうか。
その築城主体も現在のところはっきりとはしないが、府中小笠原氏にとって 南の防御拠点に位置することから、一族を配した可能性は高い。 『信府統記』に現れる小笠原頼貞(簡齋)の時代は武田信玄と小笠原氏との戦いである 塩尻峠の合戦があった時期である。 頼貞は『地史』で歴代城主としている小笠原持長流の宗則ー光政ー光保と続いた光保の次男である。
光政、光保は共に西条七郎と名乗っていたという。


〜アクセスルート〜

【左】常光寺

西条城以外はまったく表示がないため、麓から直接登る時は慈光院、常光寺付近の斜面からとりつくしかない。
私は常光寺右側裏手から祠のある山(案内板有り)へいったん登った。西側が谷になっていて、なぜか線路(跡)が 通っている。谷を北側へ回り込みながら谷の西側斜面にとりつくと、北東尾根先端部に出る。
いずれにしても、『塩尻市誌』掲載の縄張り図をコピーして持っていくことをオススメします。

常光寺から飯縄城主郭まで約30分、飯縄城から嵐城まで約20分、嵐城から西条城まで約30分。(登り)
尾根上を行くのですが、写真にも一部写っているビニルテープがずーっと張ってあり目印に なります。秋の松茸シーズンには入らない方が無難かもしれません。
西条城のみであれば南側にある大芝山の登山関連のHPを探せばくわしいルートがわかると思います。


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