野尻城

のじりじょう




野尻城という呼称はは野尻湖に浮かぶ琵琶島を城として利用した野尻城と、対岸にある尾根上に築かれた 山城の野尻新城との総称である。 ここでは琵琶島の野尻城を取り上げている。
南北朝時代には文献に現れており、信濃守護によって掌握されていた。その後、室町時代 から戦国時代には高梨氏の支配を経て、上杉謙信によって信越国境の境目城として掌握された。
永禄年間(1558〜70)に入ると武田信玄の侵攻がここまで及び、天正10年(1582) の武田氏滅亡までの間、野尻城をめぐって上杉、武田両軍が激しい争奪戦を展開した。
<場所>上水内郡信濃町野尻
<行き方>国道18号野尻湖入口信号を入り野尻湖へ
野尻湖畔から遊覧船に乗船して琵琶島へ
<駐車場>遊覧船乗り場大駐車場有り
<撮影日>2004年8月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】遊覧船乗り場からの野尻城  現在、島には宇賀神社があり、島全体が神域となっている。
遊覧船は湖上を約30分まわって、琵琶島に寄り、乗り場へと戻る。約40分間隔で 船が来るので、その間に探索ができる。

【左上】宇賀神社鳥居  今年建てられたばかりの大鳥居。島の西側にあり、島の中心を 東側へと参道が通る。
【中上】西側の郭  島を東西に分けるように大堀切があり、周りは約10mの断崖となる。
【右上】堀切部分  神社が造られたため、だいぶ変わったであろうが、西側郭と東側郭の間に 堀切の形跡が残る。写真奥が東側郭。

【左上】東側郭  宇賀神社の神殿が建っている。東西の郭はほぼ同じ大きさで、東側には 腰郭がいくつか確認できる。
【中上】野尻新城の眺め  北東側湖畔の尾根上に新城はある。
【右上】宇佐見定行の墓  上杉謙信の家臣。武田信玄と通じているという噂があった 長尾政景を野尻湖の舟遊びに誘い、共に野尻湖に沈み忠死した。謙信が それを知って宇佐見定行の霊を弔うために、ここに具足を埋めて経塚を立てたのが 現在まで墓所として伝えられてきた。 〜現地案内板より〜



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