岡城

おかじょう




岡城は天文年間末、信玄と村上義清との争いの間に築かれ、塩田城自落後、馬場美濃守によって整備されたという説がある。 外堀の北、東、西の三カ所にある虎口に丸馬出が設けられていることから、武田氏によって築城されたのは 確かであろう。当時としては大規模な平城であり、天文22年(1553)葛尾城を落としてから 永禄3年(1560)松代に海津城を築くまでの6年間、武田軍の川中島進出の前線基地であった。
現在は大部分が宅地、耕作地となっているが、一部に土塁や堀、丸馬出が見られ、城域が想定できるのは 貴重である。
<場所>上田市岡
<行き方>上田市街より国道143号仁古田信号右折
浦野川を渡った所
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8




左上 岡城縄張り図  南面は浦野川を背にして、北側に大手口。本丸を囲むように二の丸、その周囲 北、東、西に丸馬出を伴う虎口がある。
中上 本丸西側虎口  写真手前の案内板後ろが空堀、その先が本丸虎口で住宅が建っている所が 土塁上である。本丸空堀、土塁は西半分は確認できる程度に残っている。
右上 本丸東側土塁跡  本丸東半分はほとんど分からないが、位置的にこの空き地付近に土塁があった であろう。後ろの団地は2m弱高くなっている。


二の郭東北部の外堀
ここが一番良い状態で遺構が確認できるところ。空堀が耕作地になっているが、土塁は3mから北側では 7m近くになっており、見張り櫓が建っていたであろう。空堀は幅15m程。だいぶ埋め立てられた ようだが、外堀の周囲を沿うように道が通っているので外堀はだいたい確認できる。

左上 北側 丸馬出の三日月堀  現在耕作地になっているため外側の輪郭東半分が弧を描いているので、 それだとわかる程度。
右上 東側 丸馬出の三日月堀  こちらも北側と同じような状況。南半分が確認できる。
西側の馬出はほ場整備の為、まったく遺構は残っていない。



南側を流れる浦野川
この川によって南側は遮断されている。内堀、外堀とも両側はこの浦野川に落とし込んでいたようである。

平城であるため遺構の保存は難しいものがあるだろうが、なんとかこれ以上の破壊をくい止めてもらいたい と感じた。 だが、現在平城でこの程度遺構が確認できるのは貴重であろう。一見の価値はある。



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