麻績城

おみじょう




麻績城は戦国時代、服部氏の居城であった。天文22年(1553)3月末、武田信玄が 四賀村の苅谷原城、会田の虚空蔵山城を破り、青柳城 の青柳氏を従えて服部氏を追放した。
武田支配時代は青柳氏が麻績城に移り麻績氏と名乗り筑摩地方を治めていたが、 武田、織田氏が滅亡後は北信から侵攻してきた上杉景勝と 南側の松本から侵攻してきた小笠原貞慶が争奪戦をくりひろげ、結果小笠原氏の支配地となった。
また、武田勝頼の母である諏訪御料人(湖衣姫・・・)の母の実家が麻績氏であり、 諏訪氏と麻績氏の同盟の印として差し出した娘であったのだろう。
彼女は勝頼が高遠城主時代には高遠に住んでおり、 新府城を引き払う時に 麻績へ帰ったという話がある。
<場所>東筑摩郡麻績村麻
<行き方>国道403号本町信号西へ
約500m先法善寺方面へ右折 約1.5q先右側搦手入口看板有り
<駐車場>駐車スペース2台
<撮影日>2004年5月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】麻績城南側  写真中央2つピークがある左側の頂上が平らなほうが麻績城。
右側が城山(のろし山)。搦め手口(写真の裏、北側)から登ると2つのピークの間の 鞍部に出て、そこから尾根上を登ることになる。
麻績古城は 麻績城左下の小山で、麻績城の南尾根を下った所になる。

【左】麻績城案内図
鞍部に出たところにあり、西の尾根を登ると麻績城方面。
登り口は大手口の中町からと、搦手口の 北山からがあり、どちらからもここで合流する。
しかし主郭までの時間は搦手からだと約25分、大手からは 下の案内板には1時間と書いてあった。比高がかなり違う。

【左】搦め手口  駐車スペースから徒歩で案内板に従って谷の中を来ると、約10分でここに着く。 ここから鞍部にでるまでイッキに登る。沢が流れており、水の手であったかもしれない。
【上】四の郭  鞍部から細尾根の道を上り詰めたところが四の郭。唯一展望の利く所。

【左上】四の郭から南西方面  南下には現在の麻績の町が一望でき、南西方面には麻績の 町を挟んで向こう側に青柳城が見える。
【右上】青柳城  望遠撮影だが、肉眼でも青柳城のシンボル的な尾根先端の木が見える。

【左上】主郭と二の郭の堀切  尾根上の細長い郭だったのがここで広がり、堀切の長さも15m 程はある。
【右上】主郭  主郭はかなり広く頂上部の西側先端部になる。東西は約40m、南北も約20m はあり、細尾根上の狭い二の郭までとは様相が一変する。

【左上・右上】主郭西側下の段郭  大規模な段郭が下方まで続いており、左上写真の付近は 主郭から20m程下付近であるが、半円状に主郭を囲むようになっている。
さらに下って行くと道と勘違いしそうな感じの郭まであり、長さは約100mはある。 現在は森林で見通しはまったく利かないが、当時の城下から見た眺めは壮観であったろう。

【左上】麻績氏居館跡  県道12号中町(北国西街道の麻績宿)から大手道が通じており、 50m程入った所にある。現在は住宅地になっており、案内杭のみで遺構は見あたらなかった。
【右上】大手道  居館から谷の中をさらに進んでいく。そして最初の鞍部で搦手道と合流する 模様。また、写真の所から左手の尾根を登って行くと、麻績古城(虚空蔵山城)に行ける。



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