鬼場城

おにばじょう




鬼場城は永明寺山の南東に延びる丘陵の先端部にあり、山浦地方一帯の喉元にあたる要衝の地である。
築城年代は不明であるが、齢松山城の支城として矢崎氏によって築城されたが、位置の重要性と 堅固さから、本・支城の逆転があったようである。
そして尾根続きである諏訪氏の居城上原城とも連絡が取りやすい位置にある。
<場所>茅野市ちの
<行き方>国道152号鬼場橋信号西側の尾根先端部
展望台への階段を登り、その先頂上部
<駐車場>無し 国道沿いの店の駐車場を利用
<撮影日>2004年1月
<参考文献>茅野市編『茅野市史』中巻 中世・近世 1987年

【上】鬼場城の西側城山団地下から見た風景  齢松山城から麓を「永明寺山遊歩道」が 通っており、鬼場城の展望台まで整備されている。

【左上】鬼場城東側  観光道路「ビーナスライン」により山が削られているが、城域の主要な部分は 残っている。この崩落止めのコンクリートに沿って階段があり、城域に入って行ける。 ちょうど上にある鉄塔のある場所が二の郭になる。
【右上】展望台より南側の眺め  向こうの丘陵上に粟沢城がある。 山浦地方(八ヶ岳西麓の茅野市、原村の高原地)に睨みをきかせている。

【左上】二の郭より主郭の切岸  二の郭には送電線の鉄塔が建っており、主郭との間の堀切は埋められて しまったようだ。主な郭は主郭と二の郭のみである。
【中上】二の郭北側下の帯郭にある井戸跡  二の郭下にコの字形に帯郭があり、そこに2m程の深さ がある井戸跡が残っている。
【右上】主郭より二の郭  城自体は小さいが周囲を小郭が囲み、主郭背後の尾根は3条の堀切が 確認でき、よく防御を施している。

【左上】主郭  周りを完全に土塁で囲んでいる、珍しいものである。
【右上】主郭背後の切岸、堀切  尾根自体が細くて、両側は急な斜面なのでなかなか堅固な造りだ。

【左上】堀切  主郭背後に3条の堀切が連続してある。
【右上】搦め手部分  堀切を越えた最後の郭から尾根へ搦め手口がある。わずかに土塁が残る。

【左上】城山団地  搦め手から西側下に城山団地が広がる。ここからも登ってこれるが、車の場合は 駐車する所が無い。
【右上】展望台より北側の眺め  大門峠へと行く道が続く。途中に埴原田城がある。



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