大熊城

おおぐまじょう




大熊城は文明15年(1483)の内訌時 (干沢城参照) 下社大祝金刺氏との合戦で惣領側が勝利し、その首を 大熊城に二夜さらし首にしたという。その後、千野氏が城主となったようである。
天文11年(1542)信玄の侵攻により落城し、天文17年頃破脚された。

諏訪大社上社本宮より北西へ約1.5qの所に位置し、大祝の山城がつらなる赤石山脈の北端の尾根東麓に 位置している。
現在中央道が城の真ん中を通過しており、五の郭が消滅してしまっている。各郭が空堀によって独立しており 主郭の北西側に二の郭、三の郭、南側に四の郭、六の郭が確認できる。
<場所>諏訪市湖南
<行き方>諏訪大社上社より県道16号、湖南大熊信号の一つ先の信号を左折
県道442号を約1q中央道にかかる所手前が主郭
<駐車場>中央道跨線橋上に路駐
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8


左 主郭の土塁上にある祠  これは江戸時代中期頃に千野氏の子孫の人が祀ったものらしい。
上 二の郭側より主郭  主郭を取り囲む空堀は大きく上幅10m、深さ4m。二段箱薬研堀。 これは昭和48年中央道建設に伴う発掘調査が行われた為、かなりの詳細が分かっている。

左上 主郭より南東方面  同じ山裾、つまり諏訪盆地の西側の山裾には本城の干沢城、居館の上社前宮、 そして本宮を中心として上社大祝の城が連なっている。そのうちいくつかは中央道建設の犠牲となってしまった。
右上 主郭より北東側、二の郭、三の郭方面  郭は耕作地になっているので、保存状態はよく縄張りの把握はしやすい。

左上 主郭南側  空堀から主郭に繋がる所が虎口状になっているように思われる。
中上 六の郭から見た四の郭断面!?  五の郭は消滅。
右上 六の郭  六の郭が一番高く四の郭、主郭、二の郭、三の郭と下がっていく。



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