大影城

おおかげじょう

《別名》 大崖城・矢田城




大影城は矢田判官義清の館跡といわれている。 足利義保の子義清は上野国多胡郡矢田郷に在って矢田氏を名乗った。同じ多胡郡に本拠を持っていた 源義賢が久寿2年(1158)8月に甥の義平に討たれ、義賢の子、駒王丸は斉藤実盛の計らいによって、 木曽の中原兼遠の元に匿われることになった。
武蔵国から最短距離で人目に付かない安全な道、神流川の山中谷をさかのぼり、十石峠を越えて大影城に たどり着き一時かくまわれたという伝承が残る。
後に「平家物語」では矢田義清は義仲軍の中核として活躍したが、水島の合戦において戦死している。

【左】北面の断崖  抜井川が北面直下を流れ、約20mの断崖となっている。崩落が続いていたようで、 郭面積が小さくなってしまったようである。
<場所>南佐久郡佐久穂町大日向
<行き方>国道299号川久保信号より東へ約900m先、南側林道へ入りすぐ左折
そのまま東方向に進んでいくと畑の中に鉄塔が左手に見える。解説板あり。
<駐車場>路駐
<撮影日>2005年9月
<参考文献>佐久町『佐久町誌』歴史編1原始、古代、中世 2004年


【左上】城域南側より  南側は背後の山地へと連なる場所で、土塁、空堀、虎口が確認できる。 東西には深い断崖を形成した沢があり、城域が守られている。
【中上】虎口部分  南側ほぼ中央に虎口があり、その左右には土塁、空堀が確認できる。
【右上】空堀部分  この季節は藪になってしまっているが、空堀部分も良好に残っているようである。

【左上】郭内部  中心部に鉄塔が建っている。この部分は多少破壊されていると思われる。 虎口を入ると下り斜面が10m程つづき、北側崖に沿って平坦地が存在する。この部分は崩落が 続いていたということなので、本来はもっと北側に平坦地が続いていたのであろう。
【中上】北側の眺め  抜井川とそれに沿ってはしる国道(武州街道)が谷間につづいている。
【右上】「馬洗いの池」  東側は一段低くなった平坦地が広がり、湿地になっている。 この部分は馬洗いの池とよばれているところである。


〜感想〜
川を挟んで反対側は大日向地区の中心地であり、その周辺を見渡すことができる位置にある。
さらに西方約1.5qには楯氏館があり、 この付近一帯は馬牧だった。抜井川の断崖を利用した造りは楯氏館と大影城共通である。
また、佐久、西上野、武蔵をつなぐ道が通り、佐久の武士団にとって重要な地域であったことが うかがえる。



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