大峯峠物見
おおみねとうげものみ

《別名》 (蚕玉社境内) 長野県北安曇郡小谷村上手村


―史料からみた大峯峠物見―
大峯峠物見に直接関係する史料はない。


『小谷村誌』の城郭関連地名一覧の中で、「上手村 蚕玉社境内」として掲載されており、物見があったと伝えられているという。
そのため、宮坂武男氏が「大峯峠物見」と仮称を付けた[宮坂 2013]

【左】蚕玉社(こだましゃ)
郭として確認できるのは蚕玉社のある削平地だけである。東西約10m×南北約4m。東側は崩落している可能性もある。

『大峯峠物見〜曽田城周辺域図』


『大峯峠物見縄張図』


―立地―
姫川の支流である土谷川と中谷川の両谷筋を結ぶ千国道(塩の道)を見下ろす場所に位置する。
姫川右岸を通る千国道は宮本城付近から北上し、 立山を迂回するように土谷川沿いに東へ進み、 中通の城峯付近から再び北上する。
先の両谷筋を結ぶ道のピークが大峯峠であり、そこから大峯峠物見までは直線で約130m、比高約43m。
同尾根上には姫川に面した立山から東へ、大峯峠物見→夜城→曽田城と続いている。


―アクセスルート―
【左上】車道から旧道への入口
現在は上手村と長崎との間を1.5車線の舗装道路が通っているが、旧道の大峯峠のところは大きく西側を迂回している。 そこをショートカットするように旧道がまっすぐ通っており、南側入り口には駐車できるスペースがある。
入口部に案内板はない。

【右上】大峯峠
駐車スペースから旧道を登ると、すぐに大峯峠の表示が現れる。東側には写真に見える土谷堰記念碑と二十三夜塔があり、 その脇を登って行く。


【左上】土谷堰のパイプが地面から見え隠れしているので、それをたどりながらまっすぐ登っていくと正面に崖が見える。写真でみるより結構な急斜面。
宮坂氏の縄張図では、途中に蚕玉様入口の標柱が描かれているが、見当たらなかったため、私はそのまま土谷堰をたどって崖の北側を迂回し、背後から攻めることとした。

【右上】土谷堰の道筋
土谷堰の上は車1台が通れるほどの道幅があるので歩きやすい。おそらく地元の方が整備しているのであろう。
藪こぎを覚悟していた曽田城へは、おかげさまで簡単に行くことができた。
尾根上まできたら、適当に南側へ入って大峯峠物見を目指す(もちろん地形図・方位磁石は必携。現在はスマホで自分の位置情報を地形図に落とし込めるアプリがあるので便利。)
大峯峠から物見まで約20分で到着。


―現況―
【左上】蚕玉社と削平地
社の北東側から撮影。写真奥が尾根先となる。

【右上】削平地の北側下部
腰郭状になっているが、蚕玉社を祀って以降、大峰峠へ下る道筋を拡幅したものかもしれない。

【左上】削平地の北西側下
石積みが確認できるが、後世のものであろう。道はここから十数メートル確認できるが、それより下はよくわからない。

【右上】立山の眺め
現在は樹木で見通しがきかないが、西方に立山の山容が確認できる。

【左】夜城・曽田城方面
蚕玉社から西方約100mにひとつピークがあるが、特に遺構はない。この先ゆるやかで幅広な尾根が曽田城下まで続いている。

―感想―
土谷川と中谷川両谷筋を結ぶ千国道を見下ろす場所にある大峯峠物見は、同道の監視が主目的だったと考えられる。
さらに宮坂氏が指摘するように、姫川筋にある城(平倉城黒川城など)が見通せるため、 狼煙台としての役割も果たしていたであろう。
背後の尾根には堀切等の防御遺構が見当たらず、夜城・曽田城との連絡は距離も比高差もあまりないため容易である。 この3城はセットで機能していたと考えてよいのかもしれない。


行き方 国道148号、下里瀬信号を東へ入り、奉納温泉方面へ。
中通のところから、上手村・中谷方面の案内板がある道へ左折。
約600m先、ヘアピンカーブを曲がったところに駐車。
駐車場駐車スペース有り 3、4台
撮影日2016年12月3日
更新日2016年12月8日
参考文献 『小谷村誌』歴史編(小谷村誌刊行委員会、1993年)
宮坂武男「大峯峠物見」(同著『信濃の山城と館』第7巻安曇・木曽編 戎光祥出版、2013年)
参考サイト