竜ヶ崎城

りゅうがさきじょう




竜ヶ崎城の文献上の初見は寛正5年(1464)で、その後文明19年(1487)に、高遠の 諏訪継宗が竜ヶ崎城を支配していたことがわかる。
天文14年(1545)4月の武田信玄伊那侵攻の時には、 福与城の藤沢頼親に助けを求められた 深志の小笠原長時が、竜ヶ崎城に立てこもって戦ったため、背後の脅威を感じた信玄は 5月21日に小山田信有らを派遣し、竜ヶ崎城を攻撃。6月に板垣信方によって落城し、 小笠原長時は林城へ戻った。
<場所>上伊那郡辰野町伊那富
<行き方>国道153号小横川入り口信号西へ
約100m先右側墓地裏手
<駐車場>墓地駐車場借用 3台
<撮影日>2005年8月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】池上寺前より  伊那谷の最北端、横川川と小横川に挟まれ、南東方向に延びる尾根先端 に位置する。その先端下部に池上寺がある。

【左上】池上寺裏の削平地  墓地裏から登る道と寺からの道はここで合流し、さらに九十九折りの 道を登っていく。この削平地もおそらく根小屋に関連したものではないか。主郭まで約15分。
【右上】南側堀切  急坂を上り終え、なだらかな尾根上の道になると郭らしき削平地が続き、 途中堀切が僅かに確認できる。
また、主郭南側に二の郭といえる削平地があり、そのその手前に1条、主郭との間に大きい堀切が 1条ある。

【左上】主郭  周囲は土塁で囲まれている。背後の北側堀切は底から土塁までの高さ10m程はある 規模の大きいものでそのまま竪堀となっている。東側斜面へは二股に分かれて落ちていく。
【右上】主郭北側の小郭  主郭背後の堀切を越えると約6m四方の小郭があり、南北に土塁がある。
その背後に規模が小さくなるが堀切があり、約20m先にもう一条堀切がある。その先は 登り坂となっており、城域は終わる。


【左】荒神山公園より竜ヶ崎城方面
写真中央手前に突き出た尾根の先端部にある。右下には辰野の町がひろがる。
荒神山は信玄が陣を張った場所といわれ、伊那攻略における最初の拠点となったという。


〜感想〜
規模は小さい城だが、信玄と小笠原長時との戦いで、文献上にも登場している有名な城である。 主郭背後の巨大な堀切と、その背後尾根上に数条の堀切を入れるのは、小笠原氏らしい手法だが、 前面の郭構築が少ないのは、時間的制約のためにできなかった部分か。
また、天正年間には中西丹後守という郷士がここにこもって、織田氏に 滅ぼされたともいうが、つまびらかではない。
何れにしても諏訪(高遠)氏時代の遺構には手を加えたであろう。
  


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