真田本城さなだほんじょう![]() 別名松尾城ともいわれるこの城は真田昌幸が天正11年(1583)に 上田城に移るまで、 真田氏の本城であったと推定される。 真田氏は大伴氏の系といわれ、現在の真田町一帯を治めた牧人であり、上代小県郡にあった信濃国府 の要人として上田荘、常田荘を掌握し、強大化した有力土豪と考えられている。 小県郡と西上野をつなぐ上州街道を押さえ、神川左岸を固める為に、鎌倉時代後期に「内小屋」 (現在の信綱寺周辺で、 初期の館跡)から本拠をこちらに移したと思われる。
【左上】城の西側からの眺め 南側(写真右側)は幾分斜面が緩やかとなっており、 現在は車道が通って、主郭のすぐ近くまで行ける。 ![]() ![]() 【左上】縄張り図 北方向へ半島状に突き出した尾根上に郭があり、眺望は極めて良い。 【右上】切り通し 東側からの登城口なのか、堀切なのか不明であるが、駐車場手前にある。 ![]() ![]() ![]() 【左上】城域南側 主郭の土塁手前まで緩やかに登っていく。段差がいくつか確認でき、段郭が あったと思われる。 【中上】主郭南側土塁 この先北側が城域主要部となる。 【右上】主郭内部より土塁 ![]() ![]() 【左上】主郭より二の郭、三の郭方面 尾根幅が10m弱でかなり細長く、狭さを感じる。 【右上】三の郭より二の郭方面 主郭から二の郭、三の郭とわずかだが段差があり、低くなっていく。 ![]() ![]() 【左上】三の郭先端部北西下 かなり狭いが段郭が下方まで続いている。 【右上】北側の眺め 麓には上州街道が見え、遠くには菅平高原、四阿山などが見える。 また、右奥の尾根上には松尾古城がある。 ![]() ![]() 【左上】南西下 真田氏館 写真中央 樹木が生い茂る緑地が館。 【右上】南西上田方面 写真中央尾根先端部が砥石城で、 指呼の間の距離である。 |