先達城

せんだつじょう




先達(せんだつ)城は享禄元年(1528)武田信虎が諏訪侵攻の際、ここにあった新五郎屋敷 を城に取り立てたという記録があり、これが先達城と考えられる。 当時は甲斐と諏訪の国境は富士見町の御射山神戸の南、堺川と思われ、ここで合戦があった。 この城は武田軍が諏訪侵攻の為の前線基地として築いた砦であったと思われる。 しかし現在新五郎屋敷がどこにあったのかは特定できない。
信玄の時代には地元の伝承によると家臣、多田淡路守常昌の居館があった。常昌は長篠の合戦 で討ち死にしたという。境内の墓地には常昌の墓碑があるが、文献上ではどのような人物であったのかは 判らない。
諏訪攻略後は信玄が北信濃侵攻の為に設けた棒道筋(下の棒道)であるので、中継基地として使用された と考えられる。

<場所>諏訪郡富士見町境
<行き方>県道17号山梨県より長野県に入って
約1q左側 常昌寺
<駐車場>寺前に大駐車場
<撮影日>2003年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8

常昌寺の北側の土塁か
現在、城跡には常昌寺と先達区公民館が建っている。その裏側に土塁らしき遺構が確認できる。 長篠の合戦後はここは掃い地となり、常昌寺が建った。明治に入って学校用地にもなり、 城の遺構と断定はできない。
この土塁の先は鹿之沢川の断崖となっている。 その他、寺の東側にある墓地の部分が独立した郭状になっている。


多田淡路守常昌の墓碑
寺の東側にある墓地の隅にあり、天保年間のころ長篠の戦場跡より写し取ってきたという墓碑。
表に「知海常通居士位」、裏に「三州長篠戦合天正三年五月四日夜 陣中右淡地三八郎常政苑」と 刻まれている。


現在地名からここが城であったと確認できるが、遺構として見るべき物は乏しい。 しかし、ここを通る県道17号沿いは中の棒道が通っていたといわれ、常昌の墓碑を見ると 武田軍の影が見えてくる・・・かも。



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