塩田城

しおだじょう





塩田城は鎌倉時代中期の建治3年(1277)に幕府の重職であった北条義政が鎌倉からこの地に移り、 館を構えたのが始まりといわれる。義政の子国時、その子俊時と三代にわたり約60年間塩田北条氏 として幕府内でも活躍した。城の頂部に国時の墓と称される後世の墓碑が残っている。
正慶2年(1333)北条氏滅亡により村上氏がこの地方を領し、塩田城には直臣福沢氏が代官として 居城し、村上氏の有力な根拠地となる。
天文22年(1553)武田信玄によって攻められ落城、戦略上の重要地として飯富氏等の重臣をこの城に 置いた。武田氏滅亡後は真田氏が上田城 を築くまでの約30年間この地方の軍政両面の拠点となり、 歴史上重要な城としての道を歩んだ。


<場所>上田市前山
<行き方>県道82号上田から別所温泉方面へ
無言館、信濃デッサン館、前山寺等の看板を目当てに
左折し南へ約1q
<駐車場>登城口に5台
<撮影日>2003年10月
<参考文献>『日本城郭大系』8

城域は極めて広く弘法山から北へは城下町が形成されており産川まで、東は神戸川の深い谷、西は龍光院の山麓に及ぶ惣構えである。
弘法山の尾根は北へ二方向に延び馬蹄形となっている。
尾根上は砦を築き守りを固めている。 しかし居館など中心になる部分はその中の谷の中央を、南北にほぼ一直線に伸びる大手道の両側に段郭状に形成されており、 大手道は城下町の中も南北にまっすぐに延びている。鎌倉時代の館の典型的な造りとなっている。
発掘調査の結果から北条時代は下の集落のあたりに館を構えいて、その後村上、武田氏の時代に 山腹から頂上へと城が広がっていったとの事。
大手道を歩いていると石垣の崩れた跡や道にも石がゴロゴロしている場所があり、石畳の道が通っていた感じがする。

左上 塩田城石碑  この前の部分が堀跡であるが現在は埋められており、跡が確認できるのみ。
中上 南へまっすぐに延びる大手道。
右上 下部の比較的大きな郭部分  この周辺は昭和43年、50〜53年に渡り本格的な発掘調査が 行われており、建築遺構や生活用具類など数多くのものが発掘された。一部は城の西にある塩田の館で 見ることができる。



「虎の口」
ここは城主の居館跡と考えられており、昭和44,45年と発掘調査がされた。 城入り口から約15分でここまで着く。

左上、中上 虎の口部分の石垣  今の時期は草に覆われて確認しづらいがこの削平地入り口の部分に二段 あり、一番奥の部分にもある。石はこの周辺にある安山岩の平積みで村上氏時代のもの。
右上 その奥の部分にある古井戸


左 城の一番谷奥にある北条国時の墓碑  虎の口から約10分。墓碑自体は後世のものらしいがかなり時代は古そうだ。
背後の土塁上には炭焼き釜らしいものがあった。現代のものであろう。

左上 三島社  大手道の途中の二また道を左へ行くとある。北条氏の信仰の厚い神社。
右上 弘法山山頂からの眺め  国時の墓碑の右手から山頂登り口があり、約20分程で山頂。 岩場が何カ所かあり、道もわかりずらい所あり、分かれ道ありと少し行きづらいので注意が必要。 山城を歩きなれている人なら問題なし。尾根沿いに上を目指していけばいいので、気を付けて歩けばあまり怖がることもない。
眺めは最高で登ってきた甲斐はある。城下町から上田原、室賀峠、真田町方面などが 一望できる。山頂も削平地があり、ここから尾根に沿って郭が築かれている。

左上 大手道城下町方面  まっすぐ道は北へ下っている。
中上 大手道城下町より塩田城方面  古い蔵、家などが雰囲気を醸し出す。
右上 大手道途中にある市神  ここは桝形となっており東へ行くと北条氏の祈願寺とされる前山寺、 西へ行くと菩提寺である龍光院。

左上 龍光院  北条国時が父である義政の菩提を弔う為に建てた寺。
右上 北条義政の墓  龍光院参道途中にある。

左上 前山寺(ぜんさんじ)本堂  写真だとわかりづらいが茅葺きの厚みがスゴイ!庇いらず。三重塔よりこっちにオドロイタ・・・
右上 前山寺三重塔  この塔は扉、窓、廻縁などがなく、柱の下部からは長い貫が突出している。 これは未完成の為であるが、これがまた美しさを醸しだしており、「未完成の完成塔」といわれている。 室町時代の建立。



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