齢松山城

しろやまじょう




築城年代は定かではないが中世諏訪氏の支族である矢崎氏の居城であった。諏訪惣領家の居城である上原城と同じ永明寺山麓にあり、 上原城から南東方向約1.6qの位置にある。
また、齢松山城から麓伝いに北東へ約600mの位置には鬼場城があり、齢松山城の支城であったが、 後に位置の重要性と堅固さから本、支城が逆転したようである。
<場所>茅野市ちの
<行き方>国道152号本町西信号を北へ入る
福寿霊園の東側の谷を挟んで向かい側
<駐車場>国道沿いの店の駐車場利用
<撮影日>2004年1月
<参考文献>茅野市編『茅野市史』中巻 中世・近世 1987年

【上】城下南側国道から見たところ  南側は崖なので、西から北側へ回り込むと簡単にアクセスできる。
山裾には遊歩道が通っていて、鬼場城まで歩いて行ける。(約15分)

【左上】主郭  約20m四方で東側と南側に土塁が確認できる。
【中上】主郭より西側下の腰郭  ここが尾根の突端になる。
【右上】主郭より北側下の腰郭  南側は断崖だが北側はなだらかな谷となっており、このやや大きい腰郭 とその下に「三五郎」と呼ばれる(自然地形なのか不明だが耕作の跡がある)さらに大きい郭がある。

【左上】主郭北側下の腰郭より主郭を眺める  比高は約5m程ある。
【中上】主郭東側下の堀切より主郭  東側に堀切を挟んで二の郭がある。城全体の規模に比べ て、主郭の切岸は立派だ。
【右上】主郭と二の郭との間の堀切  上幅が2.5m程あるので、当時はかなり深い堀切であった のではないか。

【左上】二の郭  主郭の東側に位置する。
【右上】二の郭背後の堀切  城域は背後の尾根を断ち切る長さ約40mの堀切で終わる。

【左上】城域北側の郭  「三五郎」という地名が付けられており、耕作の跡があるが北側の緩やかな 谷に対する防備であろう。
【中上】城の西側下から見た竪堀  先端部腰郭の北側に竪堀があり、「永明寺山遊歩道」から見たところ。
【右上】城の西側茅野市街方面  この麓を北西へ辿っていくと上原城がある。


【左】永明寺山遊歩道
永明寺山麓を通る道で国道152号に沿って鬼場城まで整備されている。
福寿霊園東側の谷にこの標識がある。
この標識の少し先、谷の奥北東方向へ山道が分かれて通っており、 そこを少し登って右側の緩やかな所を見つけて登ると城域に出る。

すぐ近くまで開発の手が伸びているが、よく残っている。案内板も何もない小さい城跡だが、 なんとかこのまま保存してもらいたい。
  


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