鈴岡城すずおかじょう![]() 築城は小笠原貞宗の第二子宗政が、松尾小笠原家から分家して鈴岡家をはじめた頃といわれる。 小笠原氏はその後深志、松尾、鈴岡の三家に分裂して抗争を繰り返した。天文23年(1554) 武田信玄の伊那侵攻により松尾家は信玄に服属し、鈴岡城は落城。松尾城の支城となった。 鈴岡小笠原家は一時期は宗家の松尾小笠原家に代わって南伊那を治めているが同家の居城であった。 現在は本丸、二の丸、出丸とそれぞれの間にある空堀、二つの外郭が確認できる。 また、毛賀沢川の谷を挟んだ北側には松尾城があり、谷の途中に橋がかかり、歩きであればそのまま松尾城へ 行くことができる。 ![]()
![]() ![]() 【左上】二の丸の空堀 駐車場の脇にすぐ確認できる。二の丸は耕作地になっているが郭の形は崩れていない。 【右上】西側の外郭 空き地になっている。右側は堀を渡って二の丸に行ける。 ![]() ![]() ![]() 【左上】二の丸 本丸の東、南部をエル字型に囲んでいて最も大きい郭である。 【中上】堀を挟んで本丸を眺める 本丸は現在公園になっており遊具もある。 【右上】二の丸北側の段郭 北側は毛賀沢川の深い谷になっており対岸が松尾城の為、松尾城に対しての 備えであろう。本丸の北側には出丸がありその先にも小さいが段郭がいくつか有る。 ![]() ![]() 【左上】本丸 現在駐車場から直接本丸に道がついている。子供の遊び場になっているが、西側には 土塁が確認できる。 【右上】出丸 本丸の北側についており松尾城に対しての備えであろう。現在ここから山道が下っていて、 徒歩でならそのまま松尾城に行ける。約15分で松尾城主郭。 ![]() ![]() 【左上】出丸より松尾城方面 谷を挟んですぐ向こうが松尾城。こんな近くで対立していたなんて・・・ 【右上】松尾城へ続く橋 下は深い谷。近くて遠い鈴岡と松尾といったところか。 |