高尾山城
たかおさんじょう

《別名》高尾城  岡谷市川岸



城主、築城年代は定かではない。下社大祝(おおほうり) 金刺氏の分流であり、三沢、新倉(あらくら)両地域の地頭、三沢氏に よるものであろうと考えられている。
天文17年(1548)の塩尻峠の戦い以降 武田信玄によって破却されたか、 烽火台として使用されたと思われる。


【左】高尾山城 南東側より
県道14号(伊那道)から見た高尾山城。標高1016mの高尾山頂に遺構がある。 背後の塩嶺(えんれい)山地から東へ突き出た独立峰となっている。


【左上】高尾山頂 主郭下段  完全な削平はされておらず、大きく分けて下段東側と一段高い上段西側に分かれる。 山頂部はかなり広く、46×38mの主郭部とその北側に二の郭が位置する。
【右上】主郭上段  北辺には土塁が残る。主郭下西側は断崖となっている。

【左上】主郭土塁部分  土塁上に石祠が三つ並んでいる。
【右上】土塁背後の空堀  土塁の北側、二の郭との間には空堀が東西に通っており、 主郭との間を完全に分断している。

【左上】二の郭側より主郭方面  写真手前が空堀だが、北東の鬼門に当たる所が入角(いりすみ)となっており、 主郭部分が欠けた形になっている。
【右上】二の郭  主郭と同様に削平は不完全である。

【左上】二の郭虎口部分か  搦手になると思われるが、二の郭より一段低くなった枡形状になっている。 現在、二の郭東側に道が通っているが、新しく造られたものと思われる。
【右上】主郭より諏訪湖方面の眺め  諏訪湖から天竜川が流れ出て辰野方面へと谷間が続いている。 高尾山は伊那方面から諏訪へ入る関門となる位置にある。


〜感想〜
山頂部分に削平が不十分な郭が配置されており、麓から山頂への途中には遺構は確認できない。 古い形態(現地解説板では鎌倉時代築城と見られるとしている)を残した城と思われる。 三沢氏の居館推定地が南東山麓にあるようだ。
伊那方面から諏訪への入口にあたるところであり、武田氏統治時代にも烽火台、砦として使用されていた 可能性も考えられる。


行き方県道14号鶴峰公園南信号 より西へ入る。
広畑遺跡、高尾城方面の案内板に従い約800m先、登り口あり。(解説板、鳥居のある 登山道を登る)
麓から山頂まで徒歩約15分。
駐車場登り口付近に路駐
撮影日2006年5月
参考文献宮坂武男『図解 山城探訪』諏訪編