武居城

たけいじょう




武居城は諏訪大祝の居館である前宮と上社本宮との間に位置する。元徳2年(1330)、諏訪五郎時重が鎌倉幕府最後の執権北条高時の婿となり、信濃一円に勢力を拡大して、ここに居館を構えた。 その3年後、新田義貞の鎌倉攻めにより高時と共に鎌倉で自害。その後の城主は不明となる。
文明15年(1483)諏訪大祝継満は惣領家を倒して祭政二権を握ろうとしたが、失敗して高遠に 逃れ、翌文明16年再挙して諏訪に侵入し、廃城になっていた武居城を改修して、干沢城と 対峙した事が記録に残っている。
武田信玄、勝頼の時代は配下の諏訪大祝が預かるが、本能寺の変が起こったのを機に、諏訪頼忠が 諏訪を回復し、高島城(茶臼山城)に入り、 山城としての役割を終え廃城となった。
武居城は干沢城と共に諏訪大祝家にとって重要な城であったことが窺われる。

<場所>諏訪市中州
<行き方>県道16号を諏訪大社前宮より上社本宮方面へ
約1q。 神長官守矢史料館を過ぎてすぐ小さな橋を
渡って左折。 そのまま沢に沿った道を登っていくと、
右手に畑が広がる。 そこが武居平
<駐車場>武居平の林道に路駐
<撮影日>2003年11月
<参考文献>『日本城郭大系』8
左  武居平より武居城を眺める  武居平から山頂主郭まで比高約100m、徒歩約10分。 武居平には現在畑が広がっているが、縄文時代より中世までの遺跡が重層的にあるらしい。 小さくて見えにくいが写真中央の車が停まっている場所が居館跡といわれており、一段高くなっている。

左上 武居平より諏訪湖方面の眺め  武居平は山地末端の広い平坦な丘陵で北側は諏訪盆地を見下ろす。 西側、東側は深い谷で、背後の南側のみ山に続いている独立した立地になっている。
右上 居館跡より武居平の眺め  現在は畑が広がっているが、北側の一部が見晴台となっており、 周囲が一望できる。

左 山城への大手口跡か  居館跡の南側に石積みがあり、そこから山頂まで道が続く。
上 城南側下の空堀  実はこれは当時の堀ではなく、急傾斜の登山道であったものが、 長年の雨水などの浸食によってできたものらしい。最初は城背後の防備を固める大規模な竪堀かと思ったのだが。

左上 主郭  周囲を二の郭で囲まれている。50m*20mはあるだろう。
中上 主郭虎口部分か  主郭は二の郭から2m程高くなっているがここは東側で少し段がついている。
右上 主郭より北側帯郭を見下ろす  北から東側にかけては帯郭が10段以上造られているが 下方部分は後の時代の耕作地との事。境は区別できない。

城の搦め手である南西側のみ尾根続きになっているのだが、ここには堀切など防御施設が確認できなかった。
これは後の時代に堀切が埋められたのではないかと感じる。ちょうど主郭から尾根までの各郭が他の部分より なだらかに接続されているからである。上に載せた偽竪堀の最上部もこの部分で堀状ではなく、 道となって接続している。


武居城の麓より武居平と武居城の眺め
上の平らな部分が武居平、右奥が武居城。 特徴的な地形である。




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