茶臼山城<付 天神山城・踊場砦・立石砦>

ちゃうすやまじょう <てんじんやま・おどりば・たていし>

《別名》 高島城・古城



ここは現在残っている高島城が築城される以前に「高島城」と呼ばれていた城跡である。
築城年代は明確ではないが、15世紀前後といわれていて、諏訪大社の上社 大祝(おおほうり)諏訪氏と 下社大祝 金刺氏が対立していた頃には既に存在していたようである。
天文18年、信玄が塩尻峠の戦いで 小笠原長時を破った翌年、 それまでの上原城からこの茶臼山に諏訪地方の 本拠を移した。そして麓の岡村に代官所を置き、長坂氏を派遣した。
上原は諏訪地方の南隅であるため、諏訪地方を治めるのには茶臼山の方が地理的に条件が良かったのであろう。
武田氏滅亡後、天正12年(1584)諏訪頼忠が支配を回復し、 金子城を築いたが秀吉の小田原攻めの後、関東へ移封。
豊臣時代に入城した日根野氏が島崎の地に平城の新しい高島城を築き、 この茶臼山は廃城となった。 諏訪地方における最後の山城であった。
現在は宅地化が進んでしまっており、遺構らしいものは茶臼山の西側、手長神社の裏手に帯郭、南側の 段々畑も帯郭を利用したものであろう。

<場所>諏訪市上諏訪桜ヶ丘
<行き方>国道20号諏訪信号裁判所方面へ曲がり、
最初の交差点を左折400m先交差点を右折し、
すぐ右折。 桜ヶ丘県営住宅が頂上。
(歩きなら駅裏周辺の階段を登るのが近い)
<駐車場>車を停めるスペース無く、道も狭い為
上諏訪駅周辺の有料駐車場に停めて
歩いたほうが行動しやすい
<撮影日>2003年9月、2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』8
『諏訪市史』上巻 原始・古代・中世 1995年


【左上・右上】茶臼山山頂 現在団地が建っていて遺構はない。西側諏訪市街方面は断崖に近い状態で眺めは良い。 写真中央やや左の緑地が現在の高島城


【左】帯郭
茶臼山西側山麓にある手長神社の裏手に数段の帯郭が確認できる。
神社ととなりのマンションの間に山頂へ続く長い石段があり、そこから見ることができる。
また、手長神社の南に上諏訪中学、さらに高島小学校があり、その小学校の南から桜ヶ丘公民館へ 登る道、そして小学校からさらに南の正願寺脇の代官所へ下る道が大手道か。



【左】岡村政庁跡の碑
岡村1丁目13番地付近 正願寺の北側にある
ここら辺は昔からの町らしく古い家並、蔵が細い網目状の道に点在する。

【上】茶臼山南側斜面の段々畑
ここの畑は帯郭を利用して耕作地にしたものと見受けられる。


【左】麓の小路 
岡村政庁跡から国道20号の反対側にかけて、昔からの小路が何本か走っている。
政庁からの道は武田小路、根小屋小路といわれていた。国道が横切っている為、昔とは少し道が変わって いるようだが、ここら辺は酒造屋が軒を並べていて、昔の街並みが所々で見られる。 茶臼山から手長神社、岡村政庁跡周辺を散策するとおもしろい。
左の写真 道の先には八剣神社があり、この神社の宮司があの有名な諏訪湖の「御神渡り」を確認し、 拝観の神事を行う。


〜天神山城・踊場砦・立石砦〜

茶臼山城を取り囲む形で砦が多数築かれており、特に北側にある天神山城、踊場砦、立石砦は下社勢力との 境界にある茶臼山城の最前線部となり、諏訪大祝時代から築かれていたものと思われる。
現在はどれも遺構らしい遺構は見あたらない。

【左上】温泉寺より天神山城   茶臼山城のある丘陵地から直線で約700m北西側に下ってきた 丘陵先端部に位置し、諏訪湖に面した西側は断崖となっている。温泉寺からは西へ約100mの距離。 宅地となっており遺構は無い。
【右上】踊場砦 北側より  立石公園より見た踊場砦。茶臼山城から北へ下ってきた所に位置し、 温泉寺の背後東側にある。北西方向へ緩やかに斜面が下っており、そこは現在耕作地となっているが、 段郭の跡を利用したものに見える。

【左上】立石砦 立石公園より  諏訪地方背後の山地からの尾根先端部に位置する。踊場砦から 直線で北東約300mの所。現在は大部分がホテルの敷地になっている。
【右上】立石砦から西方向の眺め  眼下に踊場砦が見え、茶臼山城は写真では見えないがさらにその左奥方向となる。 遠方には日根野氏によって築城された高島城が見える。 そこから手前方向に延びる緑地帯が 縄手通りで、「浮城」だった時代は陸地と城を結ぶ通りだった。


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