上ノ平城

うえのだいらじょう




この城は平安時代の末、南信濃源氏の祖源為公(ためとも)の嫡流の本拠であったというが 定かではない。しかし、鎌倉時代中期、諏訪氏と同族の知久氏が本拠として、知久郷へ退去 するまで在館した。
その後、この城は使用される事なく当時の遺構を残しており、長野県では最も古式の 城館跡として貴重なものである。
<場所>上伊那郡箕輪町東箕輪
<行き方>県道19号、東小学校・JA東箕輪支所を東へ曲がる
300m先城跡案内板を直進約200m右側
もしくは案内板を右折100m先左折
約200m登って左側
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2004年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8




城域の北側と南側に道が通っており、城の東側で繋がって回れるが、車を停めるには南側の 上の写真の所が停めやすい。(案内板を直進せず右折した方)
遺構としては郭とその間の堀が数条確認できる。
天竜川流域で見られるような平山城の原型であり、中世戦国時代の最終完成型のひとつが 大島城であろう。

【左上】段丘突端部の出郭  四の郭の西側、段丘の突端部にある郭である。その下にさらに腰郭が 確認できる。この郭の大きさは10m四方程でそれほど広くはない。
【右上】出郭と四の郭との間の堀切  ここは良く遺構が遺っているが、四の郭より東側は耕作地に なったことにより、多少の破壊はされている。

【左上】主郭より四の郭  耕作地となっているがかなり広いことが判る。先の林が出郭のある所。
【右上】四の郭より主郭下の切岸  案内板の縄張り図だと空堀が通っているが、埋められてしまった ようである。切岸が主郭との境界を判別させてくれる。

【左上】主郭西側  主郭の西側半分は藪である。冬ならば中を歩くことも可能だが。案内板には 主郭中央に持仏堂跡があり、主郭北西部に井戸跡があると書いてあるが見つからなかった。
【右上】主郭東側より二の郭方面  主郭東半分は耕作地となり、ここより東部はすべて耕作地 となっている。主郭の北側には腰郭が2段確認できる。

【左上】主郭と二の郭の間の空堀  ここは良く残っている! 深さ最大の所で2m程あり、トンネルの中を歩いて いるようだ。
【右上】二の郭  郭中央を東西に空堀が通っている。その背後、三の郭、御射山平の境界は空堀が 埋められてしまっており、判別できない。

【左上】御射山平より西側城域の眺め  伊奈平が一望できる。この背後は寺沢川が流れ、断崖となって おり、背後の山と遮断されている。
【右上】城より南側の眺め  城の南側、北側は沢によって断崖が造られているが、特に南側が 比高がある。



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