上之段城

うえのだんじょう




上之段城は永正6年(1509)に木曽義在が築城した。義在の子義康、孫の義昌も一時ここに 居城した。
天正12年(1584)に松本城主 小笠原貞慶は徳川家康の命で木曽へ侵攻、木曽義昌の軍を 福島まで攻め、上之段城にある義昌の居館は焼き払われた。
江戸時代になって木曽代官山村氏の家臣の屋敷は福島城麓に 集められたが、上之段にも町屋と混在して 上級家臣の屋敷が20軒近くあったという。これは木曽氏家臣の屋敷地を江戸時代に入って そのまま利用していたことを物語る。
<場所>木曽郡木曽町福島
<行き方>国道361号または県道269号より関山公園へ
公園下木曽高校グラウンドから大通寺付近が城域
<駐車場>町営駐車場または関山公園駐車場利用
<撮影日>2004年6月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【上】福島城登山道から上之段城の眺め
木曽川と八沢川とが合流する地点に挟まれた尾根上 にあり、現在は木曽高校のグラウンドが目に付く。
遺構は現在破壊されてしまっており、何も残っていない。おそらく関山公園付近が主郭、グラウンド 付近が二の郭、三の郭が上之段と山平の集落、居館が現在の大通寺付近であったと思われる。

【左】上之段付近
現在、上之段の集落付近は福島宿の宿場の景観が残っており、観光地と なっている。そこから大通寺に通じる横道に入り、さらに線路を越えて山平の集落、グラウンドと 尾根を登っていくと上之段城の主郭であったろう付近に出る。

【左上】関山公園  案内板等何も無いので想像でしかないが、おそらくこの付近が主郭で あったのではないか。公園自体は昭和49年にできたもの。見晴らしは良く福島の町が見渡せる。
【中上】木曽高校グラウンド付近  公園から下ってくるとすぐにグラウンドがある。 東側の町道が北にある稲荷神社へと通じている。ちょうど堀切のようになっているのだが、 これだけ人の手が入ってしまうと何とも言い難い・・・
【右上】グラウンド西側  耕作地、大通寺の墓地などがあり、遺構らしきものは見あたらない。

【左上】大通寺  周りは宅地、背後は線路に囲まれ、現在は小さい寺である。 木曽代官の山村良勝(たかかつ)によって建立された。鐘楼門は安永7年(1778)に建てられたもので 木曽福島町で木造建築物としては最も古い物の一つ。
【右上】真理姫の供養塔  真理姫は武田信玄の三女で木曽義昌へ嫁いだ。
信玄の死後、義昌は織田信長方に付き、武田家滅亡へのきっかけを作った。そして天正18年 には徳川家康によって義昌は網戸(千葉県旭市)へ所替えされ、5年後に病没。
跡を継いだ義利の乱行によって木曽家は取りつぶされてしまう。
真理姫は晩年末子の義通と共に木曽へ戻り三岳村で隠棲したが正保4年(1647)98歳で 波乱の生涯を閉じた。
墓は三岳村と千葉県旭市網戸の東漸寺の双方にある。大通寺は木曽家の屋敷跡に代官の山村良勝が 建立した寺で、良勝とその父は義昌の重臣であったことにより、ここに供養塔が建てられたと 考えられている。
〜現地案内板より〜
  


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