上野山城

うえのやまじょう




上野山城についての詳細は不明である。江戸中期に書かれた松本藩の地誌『信府統記』にも 「城主知レズ」とある。南東約1.2qには飯縄城があり、 上野山城は同じ城主の支城と考えられている。

<場所>塩尻市下西条
<行き方>下西条から矢沢川に沿って川窪集落方面へ
JR中央本線を越え、林道を上野山方面へ
<駐車場>山頂 秋葉神社脇に路駐
<撮影日>2005年11月
<参考文献>『塩尻市誌』第2巻歴史 1995年

【上】北側より上野山城  上野山から拳状に東へ突き出た円錐形の山の頂上部にある。 塩尻市街地のすぐ南側にあり、かなり目立つ存在である。西側が上野山と 尾根続きになっている。

【左上】三の郭より主郭方面  やや南北に細長い山頂部に北から主郭、二の郭から四の郭までが 連続しており、北端、南端と郭間には堀切がある。
しかし、主郭部に電波塔が立っているため車道がついており、ちょうど郭群の真ん中を突き通って おり、一部破壊されている。
【中上・右上】主郭と土塁  現在秋葉社が祀られており、その周囲に電波塔がある。 そのため、当時のものかわからないが、周囲には土塁があり、道の通っている西側には見られない。

【左上】主郭北側下の腰郭  主郭の周囲には腰郭が確認できるが、どれも奥行きが浅いもので、 不規則に並び、飯縄城のものと似ている。
【中上】松本平方面の眺め  北側の眺めは西条城 よりは標高が低いため、眺めの良さは劣るが、 死角となっていた東側は、現在は樹木で見通せないがこちらの方が見えるはずである。
【右上】西側堀切  尾根続きの西側は主郭から下って小郭が数段あり、その先、この大堀切、その先に 2条の堀切があって、上野山への上り尾根となる。
  


【左】上野山城南西麓より 嵐城、西条城
写真右側のピークが西条城、左側のピークが嵐城。矢沢川の流れる谷を挟んで向かい合う。
〜感想〜
南端部にある四の郭、南端の堀切は道が通っていないため、よく残っている。主郭南側の 二の郭との間にある堀切がもっとも大きく、道の両側に遺構が残る。末端部、尾根続きを堀切で 遮断し、主郭周囲には腰郭を設けており、お手本通りの普請がなされている。
現地解説板には「宝徳年間(1450年頃)、松本の小笠原持長が、諏訪勢、伊那勢から守るために 西条城を築いて次男宗則を城主とした」と書いてある。おそらく『笠系大成』を元にした『塩尻地史』 の内容と思われるが、 西条城の所にも書いた通り、はっきりとはしていない。
しかし、築城年代は西条、嵐、飯縄城と構造が似ていることから、同じ時期に支城として築城されたと 思われる。



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