海尻城

うみじりじょう




海尻城は前山城城主伴野氏の幕下、井出長門守の築いたものといわれる。 天文9年(1540)正月、 村上氏の臣薬師寺右近らがこの城を守っていたが、武田氏の臣板垣信方の謀略によって武田方に落ち、 小山田備中守昌行(あるいはその父昌辰)に守らせた。同年12月、村上氏、佐久勢の連合軍の 急襲を受け二の丸まで陥れた。しかし昌行が本丸で防戦に努め、本国からの援軍の来着によって 連合軍を撃退した。(海尻城の合戦)
<場所>南佐久郡南牧村海尻
<行き方>国道141号海尻城入り口信号手前西側
<駐車場>無し 南側の南牧村基幹集落センター駐車場拝借
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】国道141号より海尻城を眺める  南側からの眺め。千曲川が国道を挟んで右側に流れており、 交通の要所であったろう。海ノ口城と共に 甲斐から佐久地方への入り口にある。

【左上】医王院  海尻城の北東麓にある。
【中上】海尻城への入り口  医王院から登ることができる。約5分で本丸。
【右上】二の丸より本丸方面  八ヶ岳東麓の台地が舌状となって突き出し、千曲川に接するところに 築かれた城で、郭は3つある。郭の規模はあまり大きくはなく、各郭の比高も1、2メートル程度である。

【左上】本丸  三の丸から本丸へと一直線につながり、本丸が一番奥になる。背後は堀切で 尾根から切断されている。
【中上】城の北側の眺め  北側直下には大月川が流れており、天然の堀となっている。写真奥の 峠を越えると小海町で次第に山間地の風景から佐久平へと平地が広がっていく。
【右上】城の南側の眺め  千曲川の上流方面となり、手前の山の陰になってしまって 見えないが、左奥の山地尾根上に海ノ口城がある。

【左上】背後の尾根より主郭方面  木が立っているところが主郭。北面の木が伐採されており、 城の形が把握しやすかった。
【中上】北側下の「日陰窪」  戦国時代は山頂の郭全体が本丸で、医王院からこの日陰窪 あたりの北面下が二の丸、千曲川から城の東下付近が三の丸であったようだ。海尻城の合戦の 状況もそうなればうなずける。
【右上】三の丸  一番突端部にあり東側直下は国道である。そして上殿岡の集落があり、その先が千曲川となる。

【左上】東側下  国道によって削られているようである。手前に諏訪神社があり、この周辺が 元々の三の丸であったろう。
【右上】南側下  城の南側も急斜面で、下には湿田が広がっており、自然の堀となっていた。



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