鷲尾城

わしおじょう




鷲尾城は村上氏の支族である倉科氏によって築城されたといわれるが、倉科氏については ほとんど資料がなく定かではない。
北方約1.2qには唐崎山城があり、 清野氏の本城といわれる鞍骨城は尾根伝いに行くことができ、直線で約2.5qと近く、 鞍骨城を取り巻く支城の一つとして機能したと考えられている。
<場所>千曲市倉科
<行き方>県道392号倉科方面へ
東部老人センターを過ぎて約100m 左折
大日堂脇から徒歩 主郭まで約15分
<駐車場>東部老人センター裏 駐車場借用
<撮影日>2004年7月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】西側より鷲尾城  西へと尾根が半島状に突き出た先端部にある。尾根をさらに登って 行くと、県史跡 倉科将軍塚古墳がある。

【左上】主郭  南麓の大手から急な道を登って来るといきなり巨大な石垣が見える。 そこを登ると主郭。結構広くて東西約30m、南北約20m。
【右上】主郭背後の土塁  主郭東側に土塁があり、その後ろに堀切、二の郭と続く。土塁にも 土留めの石積みが確認でき、石塁と言った方が正しいか。

【左上】主郭南西部 虎口部分  石垣によって虎口が造られている。ここから東側土塁に向かって 低い土塁が続いており、主郭南面から東面を囲んでいる。
【右上】主郭下石垣 虎口付近  主郭の周りは西面から南面にかけてを中心に石垣で覆われている。 高い所では約3.5mに達しており、その巨大さには圧倒される。

【左上】西面の石垣  ここの付近がもっとも高さがあり、武者返し状に反っている。
【右上】南面の石垣  主郭下を鉢巻き状に取り囲んでいる。

【左上】東側土塁 堀切への道  当時のままでは無いだろうが、石段状になって堀切へと降りていく。
【右上】二の郭  2条の堀切を渡ると二の郭があり、その先3条の堀切で城域は 終わり、その先は高度を上げていく。
鷲尾城の石垣は主郭の部分のみで使用されている。このような主郭だけに大がかりな石垣をめぐらせる使用法は松本の 山家城や東筑摩郡の 青柳城にもみられる。
近くの霞城でも二の郭では石積みがまったく見られない。 戦国末期の改修時における城の使用法において、石垣の必要が無い場所には設けなかったと思われる。

【左上】鷲尾城登城口  ここが大手といわれる。15分程で登れるが急斜面でかなりキツイ。
【右上】登城口付近  麓から少し登った所に大日堂がある。 ここは海津城 に移った真田信之の次女泰子姫が如来を祀るお堂として寛文13年(1673)6月に建立した もの。



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