吉岡城

よしおかじょう




吉岡城は文明7年(1475)下条氏6代目の康氏によって築城された。下条氏は甲斐源氏小笠原氏の庶流 であり、康氏は松本小笠原政康の子で、文明2年に下条家を継いだ。9代信氏は武田信玄の妹を 妻に迎え、武田氏配下に組み込まれていく。
武田氏滅亡後は徳川家康に従属していたが、 家中の内紛や謀反が家康の詮議を招き天正15年(1587)改易となり、事実上下条氏は 滅亡した。
<場所>下伊那郡下条村陽皐吉岡
<行き方>飯田方面より国道151号ひざわ信号左折
吉岡城址公園へ
<駐車場>吉岡城址公園5台
<撮影日>2005年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】北側高地より吉岡城  天竜川の西側、北の沢川と南の沢川との谷に挟まれた台地上に 位置しており、西側出郭から東へ主郭、二の郭、三の郭、町屋と続いている。写真中央部の谷の 向こう側、左右に延びている部分が城域。

『吉岡城周辺図』



【左上】北西側より主郭方面  「周辺図」では出郭となっている場所から見た主郭方面。 南北を谷に挟まれた所で、そこを堀切って区画した郭。高低差はあまりないが、西から東の天竜川方向へ やや下っている。
【中上】主郭  現在西半分は公園、東半分は国道151号によって切り通されてしまっている。
【右上】主郭西側  中上写真の奥、林の部分になる。堀切を挟んで現在神社が建つ郭がある。 この部分が一番破壊されていない所。 その先に腰郭があり、堀切、出郭と続くが、宅地や耕作地になっている。

【左上】樋掛け石  主郭北下にある岩で城下の生活用水や灌漑用水を通すために、櫓を組んで樋を掛け、この石に乗せたと 伝えられている。
【中上】主郭と二の郭間の堀切  耕作地の中に痕跡が残っている。
【右上】二の門周辺  二の郭内部にあたる。写真奥の主郭部よりやや低い位置となる。

【左上】桝形跡  二の郭と三の郭との段差部分にあり、大手門と二の門の中間にある。 写真奥が大手門方面でやや下っている。
【右上】大手門付近  「大手裏」という地名が城域北東隅にあり、 その他にも城に関する地名が多く残っている。



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