天方城

あまがたじょう




築城年代については定かではないが、応永の頃、山内対馬守の居城であったとされる。 その後、藤原秀郷流青山氏の家譜では、豊後守通秀が天方城に住し、天方氏を称したとする。
16世紀初頭には天方氏は今川氏に属していたようだが、永禄12年(1569)6月、徳川家康 によって落城、降伏した。
元亀3年(1572)9月下旬、武田信玄は犬居城主、 天野景貫の案内で、多々羅(只来)、飯田の2城 を攻略し天方城に迫ると、山城守通興は戦わず降伏した。
天正2年(1574)3月、家康は再び天方城を攻め、降伏させた。

【左】南側より天方城方面  掛川城 から北へ約10qの位置にあり、北上すると犬居城へ、 西は二俣城へと通じる街道沿いにある。
<場所>静岡県周智郡森町向天方
<行き方>県道58号天森橋信号を渡り約2.5q 「城ヶ平公園」を目指す 
<駐車場>公園駐車場 10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9
小和田哲男 監修『図説 遠江の城』郷土出版社 1994年
<参考サイト>城と古戦場」 「近江の城郭


【左上】主郭  現在城域は公園化されており旧状はわからないが、広さは約100×60mはある。 一部自然地形なのか傾斜部分がある。
【右上】内堀  主郭の周囲、南側の急斜面を除いた三方を二重の堀で囲んでおり、内堀は良い状態で残っている。 遺構なのか公園化に伴うものなのか不明だが、土橋が北、東側に架かる。

【左上】外堀  駐車場などによって破壊されているようだが、東端部分に痕跡を残している。
【右上】主郭より森町中心部の眺め  現在は樹木に覆われているため眺めはよくないが、西側を 中心として広い範囲を見通せる位置にある。


〜感想〜
武田方になった遠江山岳地域の犬居城から平野部に出るルートの一つだった所に位置しており、 徳川勢との争奪戦が展開された。家康は二俣城を孤立させるため、天正2年に犬居城攻撃へと向かった。 その際、このルートを行ったようである。
見晴らしは良いが四方に緩やかな尾根が広がっており、防御にはあまり適さない地である。 それを規模の大きい横堀を二重に用いてカバーしようとしたと思われる。


天方氏は天正2年4月6日、徳川勢の犬居城攻めの際、大久保忠世に属して案内をしている。 途中、大雨で大水が出て兵糧もなくなったため、退却することになった。
犬居城主天野氏は追撃を開始し、光明城、樽山城の城兵、郷民らの待ち伏せにもあい、 家康は天方城へ逃げ込んだ。〔『三河物語』『改正三河後風土記』〕



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