江尻城

えじりじょう




永禄11年(1568)12月、武田信玄が駿河に侵攻し、今川氏真を 遠江掛川に追い、 徳川家康と対峙することになった。相模の北条氏も徳川氏と連携し、挟撃する構えを見せ 薩た山に陣をおいた。 信玄は補給基地、補給路および海岸部の確保のため同12年正月、江尻城の築城を開始した。
その後、元亀元年(1570)2月下旬、さらに普請を行い山県昌景が入城した。
天正3年(1575)長篠・設楽原の戦い で昌景が戦死、同6年穴山梅雪が入城して大改築を行なった。
しかし、同9年3月遠江高天神城 が徳川軍により落城すると、武田氏の駿遠二国の勢力は 衰退をはじめ、同10年3月徳川家康は梅雪に使者を送り降伏勧告をした。梅雪は和議を受け入れ江尻城を開城。
その後江尻城は慶長6年(1601)駿府城 に内藤信成が着任した時、必要性が無くなり廃城となった。
<場所>静岡市清水区江尻町、二の丸町
<行き方>国道1号巴川橋北詰を東へ 江尻小周辺
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2005年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9

【上】巴川(稚児橋)より江尻小学校付近  江尻城は巴川北岸に築かれた城で、現在の 江尻小の辺りが本丸だった。現在遺構は市街化のため、まったく見られない。 当然巴川の流れも当時とは多少変わっているであろうが、 周囲には城に関した地名が多く残っている。
  

『江尻城要図』



【左上】小芝神社  江尻小の北東に位置し、三の丸があった場所となる。
【中上】魚町稲荷神社  江尻小の南東に位置し、外堀に面した場所だったようだ。 ここから東へ城下町が広がっていた。写真右側の道を進むと二の丸があった所で、 現在も地名で「二の丸町」がある。町の中には城の鬼門除けとして、二の丸稲荷神社が 造られた。
【右上】城下町方面  江戸期も東海道江尻宿として栄えた所で、現在は銀座通りとなっている。
  


城館探訪〜静岡県〜へ戻る