飯田城

いいだじょう




飯田城の築城年代は定かではないが、応永の初め(14世紀末)の頃、 天方城主の山内対馬守道美が、飯田の荘に侵攻、この地に 城を築き、天方城は弟の山城守に譲ったという。
その後、山内氏は今川氏の配下にあったが、 永禄年間(1558〜69)、対馬守の子孫、通泰の時に徳川家康に攻められ廃城となった。


【左】西側の太田川対岸より  崇信寺背後の山はゴルフ場になっているため、造成工事で変わっているかもしれないが、 その山から西側へ張り出した二つの尾根を結ぶような形で城域がある。
その二つの尾根に抱かれるような形で麓には山内氏館があったようである。
<場所>静岡県周智郡森町飯田
<行き方>県道58号森町飯田郵便局付近より東側崇信寺を目指す 山門正面の道を 南へ約400m
城域入口まで約10分
<駐車場>崇信寺駐車場借用 10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9
小和田哲男 監修『図説 遠江の城』郷土出版社 1994年
<参考サイト>史跡訪問」 「近江の城郭

『飯田城縄張り図』



【左上】城域北東部の堀切  崇信寺から歩いてくると、まずこの堀切を渡ることになる。堀切内には現在 道が通っていて、集落の方へ下っている。
【右上】城域東側の空堀跡  現在は耕作地になっているが、尾根続きの東側は規模の大きい空堀によって掘り切られて いたようである。

【左上】主郭南下  現地縄張り図では「堀」となっているところ。現状では一つの郭といった感じである。
【右上】主郭  現在は耕作地となっているが、周囲には土塁が確認できる。

【左上】御前郭  主郭を囲む土塁上の東側が広くなっており、御前郭と称されている。城域東側に対する備えの 郭と思われる。
【中上】大手虎口  西側の尾根下部から登ってきて、主郭西側隅にある枡形状の郭に入る。その手前は両側上に出郭が あるため、堀状の道を通ることになる。
【右上】崇信寺  飯田城の北側に位置する。山内対馬守道美が応永8年(1401)に建立したという。 本堂裏手に山内対馬守道美、山内対馬守久通、山内大和守通泰の三代の墓(町指定文化財)がある。


〜感想〜
築城当初は西側下部の館が主要な部分だったのではないかと思われる。大規模な堀、主郭などは 今川氏の力が弱くなり、政情が不安定になってきた頃に普請されたものか。 元亀3年(1572)『浜松御在城記』に武田信玄が只来、飯田城を攻めたことがあるため、徳川氏もしくはその配下の 者によって普請されたとも考えられる。
主郭南下の部分は竹薮となっているところもあるため、把握できない部分もあるが、主郭を防御する副郭的な ものと感じた。


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