掛川城

かけがわじょう




掛川城は駿河守護今川氏が遠江支配の拠点として、文明年間(1469〜86)に重臣朝比奈泰煕(あさひなやすひろ) に築城させた。
今川氏が没落後徳川家康が領有し、武田氏侵攻の防御拠点となった。豊臣政権時代になると 家康は関東に移封となり、山内一豊が掛川城に入城した。この山内氏によって天守が造られ、 城下町の整備も行われた。
江戸時代に入ると城主は次々に代わり、嘉永7年(1854)に大地震により天守閣など大半が損壊。 御殿も倒壊した。翌年に御殿は建て直され、この御殿は現在も残っている。

【左】復元天守閣  平成6年に木造により再建されたものである。


【左】掛川城主要部復元図

現在は堀も埋められ、公園化された曲輪部分が見られるのみであるが、復元された天守、大手門、 そして現存する御殿が見所である。

<場所>掛川市掛川城内
<行き方>掛川駅より北へ500m
<駐車場>県道37号連雀町から
逆川方面へ入った所に
大手門駐車場(有料)あり
<撮影日>2004年1月
<参考文献>『日本城郭大系』9


【左上】復元大手門  山内一豊が大手曲輪をここに造り、その正門として設けたが嘉永の地震で 倒壊。安政5年(1858)に再建されたが、明治になって民間に払い下げられ、火災によって焼失した。
後に発掘調査によって根固石の位置、規模を確認して、実際の位置より50m北側の現在の位置に 復元された。
【右上】大手門番所  嘉永の地震で倒壊した後、安政6年に再建されたのが現在の建物。 明治初年、元藩士の谷家が居宅用として譲り受け、別の場所に移築したが、 昭和53年に谷家より市へ寄贈された。平成7年に大手門を復元することに伴い、 あわせて番所を配置し、現在地に移築復元した。

【左上】本丸  天守閣の南下にあり、現在は広場になっている。発掘調査された時には柱穴や礎石が 確認できた。城が造られる以前は墓地であったという。虎口部分に太鼓櫓がある。
【中上・右上】復元天守  元は山内一豊が10年間城主となったときに天守が建てられた。 その後、嘉永の地震で倒壊。その後は再建されることはなかった。平成6年に140年ぶりに木造によって 再建された。

【左上】天守より南東側の風景  下の広場は二の丸。右下が太鼓櫓。
【右上】天守より東側下の御殿  現存する数少ない城郭御殿で、江戸時代後期、時の城主太田資功に よって安政2年(1855)から文久元年(1861)にかけて再建された。

【左上】三日月堀  本丸虎口前にあるが、現在は周りをコンクリートで固められ、ちょっと雰囲気が あわない感じがする・・・
【右上】御殿正面玄関  明治に入ってからは役場、学校、消防署など転用され続けた。昭和47年から50年に かけて保存修理が行われ、昭和55年に国の重要文化財に指定された。中は有料であるが見学できる。 天守閣とセットで300円。

【左上】武器庫  城の北側にある。元は東隣の大日本報徳社地内にあったが、昭和30年代に地元が譲り受けた際に 現在の位置に移築された。現在は公民館となっている。
【中上】竹の丸  城の北側、侍屋敷跡で城の守りとして大藪があったことから竹の丸と呼ばれた。 現在、中に邸宅があるが、明治時代に市内の資産家松本家の所有地だった頃に建てられたもの。
【左上】御殿東側の堀跡  現在整備工事中であるが、城郭主要部を囲む堀の一部であった。現在ほとんど の堀が埋め立てられてしまっており、貴重な遺構部分である。



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