蒲原城

かんばらじょう




蒲原城は南北朝期、蒲原氏によって造られたと推測されている。天文4年(1535)頃には 蒲原氏徳が城代として守備していた。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後、今川氏の勢力は衰退して行く。 同盟者の北条氏の軍が駿河の今川氏の支城に入る事になる。
永禄11年12月武田信玄は駿河へ侵攻、翌12年に蒲原城は落城した。 翌年5月、武田氏家臣山県昌景は庵原郡一帯を領して江尻城主となり、「蒲原衆」を編成し 城の守備にあたらせた。
天正10年(1582)武田氏滅亡時に徳川軍の攻撃で落城したといわれる。
<場所>庵原郡蒲原町蒲原
<行き方>県道396号蒲原駅前より北へ
善福寺方面へ登って行く途中案内板有り
<駐車場>搦め手登り口前 2台
<撮影日>2005年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9

『蒲原城鳥瞰図』



【左上】主郭(南曲輪)  搦め手口から登ってくると約10分で主郭に至る。北側に八幡神社が建っており、 結構広い削平地。西側が少し段がついて低くなっている。
【中上】北条新三郎の供養碑  八幡社手前に建っている。信玄が蒲原城を落城させた時の城主。
【右上】善福寺曲輪(北曲輪)より主郭  主郭より3m程低い位置になるが大規模な堀切を挟んで 北側にあるのが善福寺曲輪。この曲輪は完全に独立しており、腰巻状に石垣が巡っている。 発掘調査が2回行われたのを元に、物見台などを造ったという。

【左上】主郭と善福寺曲輪との堀切  底幅約6m、長さ約30mはある。
【右上】蒲原の町並  駿河湾がすぐ目の前に見える。富士川が東へ約3qの位置にあり、 今川氏にとっては富士川以東への防衛拠点となっていたと思われる。

【左上】善福寺曲輪北東下の帯曲輪  曲輪下、北側を中心に石垣が巡っている。 発掘調査が行われたのか、帯曲輪外側の土塁なども形が整っている。
【右上】石垣部拡大  善福寺曲輪は他の曲輪から独立し、石垣で取り巻かれているなど、 北条氏以後に拡大された新しい曲輪と思われる。


主郭から南西方面へ延びる尾根上に二の曲輪があるが、竹林、藪となっており、状況把握ができない。
さらに下った大手曲輪付近は東名自動車道の工事で、消滅してしまった。


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