光明城

こうみょうじょう

《別名》 高明城・高明山城




もともと修験系の寺院があった場所に築城された光明城は、『遠江国風土記伝』では享禄年間(1528〜31) 朝比奈時茂が築城したと伝えている。
元亀年間(1570〜73)に武田氏の支城として城番が置かれた。天正元年(1573)武田勝頼が 犬井(居)、高明、多々羅(只来)、 二俣の各城を巡見したことが知られている。
『浜松御在城記』には同3年6月24日徳川方によって落城、二俣城主大久保忠世がその家臣に守備させたとある。

【左】光明寺跡  本堂に登る石段、石垣が残る。昭和6年の火災によって寺院は焼失、山麓へ移転し石垣 だけが残った。
光明城は寺院跡と重なっていたと思われるため、城の遺構は明確にはわからない。
<場所>静岡県浜松市山東
<行き方>国道362号より 「光明寺遺跡」案内板に従い、光明寺林道に入り約9q
<駐車場>遺跡駐車場 10台
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9
『天竜市史』上巻 1981年
小和田哲男 監修『図説 遠江の城』郷土出版社 1994年
<参考サイト>史跡訪問」 「近江の城郭


【左上】本坊下の石垣  石垣は近世以降の寺院としての遺構であろうが見ごたえはある。光明城の郭跡を 利用したと思われる。
【中上】寺院跡東側尾根の遺構  奥の院に向かう尾根には郭跡と思われる削平地が続いている。この 東端部には箱井戸跡がある。
【右上】光明山山頂  寺院跡から約20分程東へ歩く。頂上には現在、野鳥観察小屋が 建っており、遺構らしきものは見当たらない。
  


【左】寺院跡から二俣城方面の眺め


〜感想〜
現在は山奥にある人里離れた城跡だが、当時はこの尾根上を秋葉街道が通っていたようである。 また、二俣方面と犬居、只来、森方面からの街道が山中で交差する要衝となっており、 当時の交通網を考えるとこの立地が納得できる。



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