小山城

こやまじょう




元々ここには室町時代から戦国時代にかけて、今川氏によって築かれた山崎の砦があった。
今川氏没落後、大井川を境に西を徳川氏、東を武田氏が領有することになったが、 遠州進出をねらう武田信玄との間で、この砦の攻防戦が繰り返された。
元亀2年(1571)武田軍はこの砦を奪還し、馬場美濃守信房 によって本格的な築城が行われた。小山城となってから大熊備前守長秀を守将とした。
その後徳川軍と対峙状態が続いたが、天正9年(1581)3月 高天神城が徳川方に攻略され、翌10年2月には武田氏討伐の為、織田信長が兵を進めるという報を聞いた小山城の城兵は 逃れ、徳川軍に占領された。
<場所>榛原郡吉田町片岡
<行き方>県道34号沿い湯日川の南側
<駐車場>能満寺前に大駐車場あり
<撮影日>2004年1月
<参考文献>『日本城郭大系』9

【左】麓の能満寺前からの小山城  有るはずの無い天守閣が・・・町のシンボルとして建てたそうで。 史料展示室、展望台となっている。


【左上】二の曲輪に建つ天守閣  犬山城の天守を模したという鉄筋コンクリート造り天守で、 1,2階が小山城、戦国時代関係の史料展示室、5階が展望台となっている。小山城が使用されていた 当時はもちろん天守閣など造られていなかった。
【中上】展望台より北側下  二の曲輪の三ヶ月堀は史料を元に復元したもの。その右側の堀を境に 主郭がある。
【右上】展望台より北西側下  二の曲輪の西側になるが、南北に細長い三の曲輪。そして上の林の中に 三重の三ヶ月堀がある。これが小山城の見どころ!

【左上】展望台より北東側  当時は大井川の流れがここの下で淵になっていて、天然の要害であったようである。
【中上】展望台より北西側  大手口がこの方向。城域は舌状台地の先端にあり、西側方向は台地が 広がっている。
【右上】展望台より南側  約3qで海岸に出る。平地が続く。

【左上】主郭  舌状台地の先端で南側に土塁が確認できるが、だいぶ整地されているようである。
【中上】二の曲輪の三ヶ月堀  これは史料を元にわざわざ掘ったものだが、二の曲輪がこれによって 半分がつぶれてしまう。三の曲輪の前に三重の三ヶ月堀、丸馬出しがあるのに果たしてここにも馬出しを設けるであろうか?
【右上】二の曲輪と三の曲輪との間の堀  この堀も復元であるが、半分程は以前から残っていたようである。

【左上】三重の三ヶ月堀  最近かなり手を加えられた小山城の中で、よく保存されていた所で 最大の見どころ。堀の規模は諏訪原城にひけをとらない。
【右上】堀の南端部  三重堀の外、中堀は南側で土橋によって一回区切られ、土橋の南側は そのまま南の谷へと落ちていく。写真は土橋より谷へと落ち込む部分。

【左上】三重堀の北側大手口より
【右上】大手口下の三重堀の中にある井戸跡  勘助井戸と名がついているが時代が違う。勘助の知名度が高く、人気が あるからであろう。


【左】三重堀の外堀  中から見ると絶壁がスゴイ。上幅10m、高さは最大8m程。 中堀、内堀と次第に規模は小さくなる。



【左下】城の北側下の小川  湯日川の支流であるが、堀の役目があったのであろうか。
【右下】能満寺本堂  城の南側下にあり、ここも城域内で一つの曲輪であったろう。





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