持舟城

もちふねじょう




持舟城は天文年間(1532〜55)に今川氏の家臣である一宮元実によって築かれたと いわれる。城南西の小坂は今川氏時代、日本坂道の東側坂下に開けた集落で、西駿河から入る時の関所 の働きをしていたと思われる。
武田信玄が駿河府中に侵入して以降、ここを水軍の基地として利用し、水軍の将向井伊賀守正重 が在中していたものと思われる。
天正10年(1582)2月、徳川軍の攻撃を受け、城番の朝比奈駿河守氏秀は支えきれず、 城を明け渡し久能山城に敗走した。
<場所>静岡市駿河区用宗城山町
<行き方>用宗駅北側浅間神社脇より城山観音堂を目指す
<駐車場>無し 大雲寺駐車場もしくは観音堂下路駐
<撮影日>2005年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9

【上】用宗漁港より持舟城  静岡市の南西端に位置し、府中の西側海岸部の守りとなっていたようだ。 少し北に入った宇津ノ谷峠越えの道には丸子城を配している。

【左上】用宗駅付近より主郭  切り立った断崖となっている。現在は城域に舗装された農道が 通っており、一面耕作地である。
【中上】主郭  現在城山観音堂があるが廃墟と化している・・・麓の浅間神社から 歩くと約15分。
裏手(西側)の尾根上には大規模な堀切があり、郭が続いているが果樹園となっている。尾根上に郭跡らしきものは 見受けられるが、これだけ人の手が入ってしまうと当時からのものかわからない。
【右上】用宗漁港方面  海まで800m程の所。

【左上】静岡市内方面  北東方向は駿河府中で平野が続いており、眺望が遠くまできく。
【中上】用宗駅付近  ここは城の南側低地であり、当時は水軍が軍船を置く舟溜まりだったという。 ここから東側の小坂川へと続いて海に出たのであろう。
【右上】大雲寺  城の南西麓にあり、「倉ヤシキ」という地名が残る。


〜清見寺〜


清見寺は7世紀天武天皇のときに、東国への関所となる清見ヶ関と共に仏堂が 建立されたのが創建として伝えられている。
交通の要衝のため、幾度も戦火にさらされてきた。 また、徳川家康が幼少の頃、今川氏の人質としてここに預けられていた。

武田水軍の将 向井兵庫助正重の墓とその子徳川水軍の将 向井兵庫頭正綱の墓が 本堂左脇にある。
<場所>清水市興津清見寺町
<行き方>国道1号清見寺信号前
<駐車場>5台
<撮影日>2005年2月




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