駿府城

すんぷじょう




駿府城の草創期は南北朝時代までさかのぼるが、近世駿府城の創築は天正13年(1585)に始まる。 徳川家康より築城の命が松平家忠に出され、同14年に家康は浜松城から駿府に移った。 しかし、その時点で 城は完成しておらず、同17年になって天守閣を始めとする二の丸までが完成した。
ところが翌18年の小田原征伐後、家康は関東移封となり、駿府には中村一氏が入った。
関ヶ原の戦い以降、家康の臣内藤信成が入り、慶長12年(1607)には家康の隠居城として 工事がはじまった。慶長13年、本丸御殿が完成、同15年に天守閣が完成した。
現在本丸、内堀は整地、埋め立てられ、公園となっているが、二の丸、三の丸の堀が現存している。
<場所>静岡市葵区追手町、駿府町、城内町
<行き方>国道1号、静岡県庁北側
<駐車場>付近の有料駐車場を利用
<撮影日>2004年1月
<参考文献>『日本城郭大系』9


【左上】当時の駿府城
【右上】現在の駿府城  二の丸より内側が公園となっている。明治29年、陸軍省によって整地されて しまったのである。

【左上】天守閣跡付近  本丸の北西隅にあった。五層七階の天守があったという。寛永12年(1635) の大火により焼失。その後天守は造られなかった。
【中上】家康の像  本丸中心付近にある。
【右上】本丸堀  三重堀の一番内側の堀で、明治29年に埋め立てられた。現在発掘調査によって 南東部分の水路が確認され、保存されている。

【左上】本丸堀拡大  当時の石垣も確認できる。
【中上】二の丸水路  本丸堀と二の丸堀をつなぐ水路。底にも石が敷いてあるめずらしい構造で、 本丸堀の水位を保つ役目を果たしている。
【右上】御水門  二の丸水路の二の丸堀部分。

【左上】二の丸東御門と巽櫓  両方とも平成の復元で中は資料館になっている。 二の丸南東に位置し、主に重臣たちの出入り口として利用されていた。
【右上】東御門正面の高麗門  中は桝形となっている。

【左上・中上】二の丸御門跡と現在の駿府公園入り口の橋  二の丸へ入る正面虎口で、二の丸大手門 とも呼ばれていた。門は昭和32年に埋められ、約70m東側に新たに現在の出入り口が設けられた。 石垣に積み方の違いが確認でき、門のあった場所が確認できる。

【左上】二の丸堀南西隅より  ここの角には巽櫓に対して坤櫓があった所。
【中上】清水御門跡  二の丸へ入る西側の虎口。東御門のように多聞櫓、渡櫓によって桝形を 形成していた。

【左】大手御門  三の堀南側の県庁前にある。三の丸を土橋で渡り、右手へ曲がって渡櫓門から 城内へ入る構造であった。

【左上】三の丸堀南側  三の丸堀は東側と南西部が現在地下水路になっているが、大部分が残っている。
【中上】四足御門跡  三の丸堀の南面西寄りの部分に設けられた虎口で、東寄りにある大手御門とならんで、 東海道筋から入る重要な虎口であった。桝形の東面石垣が確認できる。

【左上】横内御門  三の堀東面の北寄りにある。ここの部分だけ堀が顔を出す。
【中上】草深御門  三の堀北面にあり搦め手口になる。普段は使用されていなかったと考えられている。
【右上】三の丸堀西面  この面には虎口が無かった。



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