田中城

たなかじょう



田中城は永禄13年(元亀元、1570)正月、花沢城と共に 武田信玄によって攻略された今川方の属城である 徳之一色城を、馬場美濃守に命じて増築したものである。
天正元年(1573)信玄は上洛戦を前に、大井川を境とする徳川氏領東端の牧野原台地北端に 諏訪原城、南端の片岡に小山城を構え、 その間の線上に支城網を巡らし、東から徳川勢力に圧力を 加えた。これらの支城の背後(大井川東岸)で中心的役割を担ったのが、田中城であった。
その後天正3年に武田勝頼が長篠・設楽原の戦いで大敗を喫したのを契機に、徳川軍は反撃に 出て、掛川城の将兵を以て守備の手薄な諏訪原城を攻めて同年8月に手中に収めた。
これによって田中城も徳川軍から攻撃をかけられ、各支城との連携も絶たれることになり、窮地に 追い込まれていった。
天正10年2月武田一門の駿河江尻城主穴山信君(梅雪) が徳川方に寝返り、田中城は完全に孤立、 田中城主依田信蕃は徳川氏の勧めで同年3月に開城した。
その後、一番外側の総郭は慶長6年(1601)に酒井氏によって増築され、明治に至るまで 田中藩主の城として使用され続けた。

<場所>藤枝市田中
<行き方>(主郭部)県道224号西益津小学校周辺
(下屋敷)県道30号、六間川の東側信号を
南へ約50m
<駐車場>田中城下屋敷駐車場を利用 30台
<撮影日>2004年1月
<参考文献>『日本城郭大系』9

【左】田中城碑  いくつか碑が建っているが、ここは城域西端の外側大手前にあたる所。 国道1号大手信号を西へ入ってすぐ。県道30号、224号の分岐にある。


【左】田中城縄張り図  本丸は方形であるが、三の丸は完全に円形状となる。一番外側の総曲輪は 慶長6年の増築部分である。
【下】西益津小学校前の本丸跡の碑  小学校の敷地が本丸になる。校門を入った所に田中城の ミニチュアがつくられている。

〜中心部〜


【左上】本丸前  県道224号が大手口から新宿口へと中心を東西に抜けている。
【中上】二の堀  内堀は現在全く残っておらず、二の丸外側にある二の堀のごく一部が見られる。 小学校の西側50m程の所。
【右上】大手二の橋  二の堀に復元されている。この内側に大手二の門があった。

【左上】三ヶ月堀の一部  本丸東側新宿二の門前の三ヶ月堀。現在民家の壁外側に 半分ほど残っている。当時は三の丸内に二カ所、総曲輪内に四カ所三ヶ月堀が虎口前に設けられていた。 今は三ヶ月堀の遺構で残っているのはここだけ。
【中上】大手一の門跡  三の丸西側にある。
【右上】三の堀跡  写真は大手一の門外側で、用水路が流れているのが堀があったところであろう。

【左上】平島一の門跡  三の丸北側にあり、ここが武田氏時代の大手口。
【中上】三の堀跡と土塁  平島口から大手口にかけて三の堀の土塁がよく残っており、 その前の耕作地が堀跡であろう。
【右上】新宿一の門跡  新宿(しんしゅく)口は城域東側になる。一の門は三の丸虎口であった。


【左】三の堀  西益津小の南側に西益津中学校があり、その外に三の堀の一部が現存している。


〜総曲輪〜


【左上】城域南側清水口付近  西益津中学校があり、その敷地が二の丸から三の丸虎口部分になる。
【右上】勤番長屋跡  三の丸清水御門を出た所にあった。現在は中学校の向かいの畑に案内碑が 立っているのみ。

【左上】松原木戸跡  江戸時代の大手口。総曲輪西側の総堀の内側にあった。
【中上】総堀跡  現在総曲輪、総堀部分で遺構として確認できる部分は無いが、道が円を描いているので、 堀に沿っているのであろう。
【右上】平島木戸跡  総曲輪北側の総堀の内側にあった。

【左上】新宿木戸跡  総曲輪東側の六間川を渡る所にあった。
【中上】馬場、馬屋跡  新宿木戸の北、総曲輪内にあった。現在は畑が広がっていて、案内碑が建つのみ。
【右上】総曲輪内北東側  耕作地が広がっているが境界が曲線を描いており、昔の総曲輪 跡が確認できる。しかし、住宅地がひろがってきており、それすらも判らなくなってしまうのも時間の 問題か。


〜下屋敷〜


ここは田中城の南東隅になり、徳之一色城があった場所といわれる。
江戸時代後期に城主の下屋敷が置かれ、築山、泉水、茶屋などが設けられていた。
平成4年〜8年にかけて庭園を復元するとともに、田中城にゆかりのある当時の建物を ここに移築、復元した。
【左上】下屋敷入り口  冠木門は当時の図面を元に復元したもの。中に案内所があり、田中城の パンフレットがもらえる。入場も無料。
【中上】櫓より内部の眺め  茶室、仲間部屋、厩、郷蔵などが移築されている。
【右上】本丸櫓  本丸南東隅の石垣上にあったもので、明治期に払い下げられて住宅として 使用されていた。

【左上】櫓より本丸方面の眺め  本丸まで直線で約300m程。
【中上】屋敷内の土塁  土塁の外側には旧六間川が流れて、天然の堀とし、庭園の中にも 取り入れていた。
【右上】亀石  下屋敷には亀石と鶴石があったと伝えられており、亀石は30年ほど前に 偶然掘り出された。


【左】当時の下屋敷庭園跡図面  明治期以降築山は平らにされ、泉水も埋められ畑となり、 六間川の改修などにより、現在は昔の半分ほどの広さしかない。



〜城域外側〜


【左上】旧六間川  現在の六間川のさらに外側に流れている。
【右上】姥ヶ池  大手口である松原木戸の南側約200m程の所にある池で、木、竹の水道 で城内に飲料水を引き入れていた。現在も湧き水が豊富で、水道に利用されているようである。

【左上・右上】旭傳院山門  田中城の門といわれているが、その規模から屋敷の門であった 可能性が高い。
新宿木戸から県道224号を約500m、左折して約100m。

下屋敷駐車場にある案内板の一部  見どころが一部であるが書いてある。参考までに。


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