横山城

よこやまじょう




横山城は興津城ともいわれ、地元の国人興津氏代々の居城だった。今川氏が駿河国守護として 入部以来、被官として活躍した。
永禄11年(1568)12月、駿河に侵攻した武田軍により落城。武田信玄は 城を改修して穴山梅雪を置き、一度は府中まで侵攻する。しかし、同12年正月今川氏真救援のため、 北条軍が薩た山に布陣した事により興津川を挟んで対陣することになる。 補給路が延びた武田軍は戦局が不利になり、4月下旬に興津川に沿って甲斐へ 撤退していった。
信玄は同年11月再び駿河に侵攻し横山城を攻略。北条方の堅塁だった薩た山の 砦もうち破り武田軍の駿河侵攻への基盤を築いた。
【左】国道より横山城  興津川にせり出した尾根を利用した城。 甲斐の身延と駿河を結ぶ道が眼下を通る場所に位置する。現在は川と城の間を国道が 通っているが、旧甲州往還は城の反対側(西側)を通っていた。
<場所>静岡市清水区谷津町
<行き方>海岸方向より国道52号承元寺入口バス停 手前を左折 道なりに約100m右折し突き当たり
<駐車場>国道反対側八幡橋下の公園駐車場 6台
<撮影日>2005年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9

『横山城鳥瞰図』



【左上】横山城大手口  旧往還沿い、城の南西側に位置する。
案内板があるが、道は狭く駐車スペースも無い。
【中上】主郭西側堀切  主郭まではほぼ藪に覆われてしまっている。藪と格闘しながら 進むと途中にいくつかの削平地や規模の大きい堀切が2条確認できる。しかし、 この藪も以前は耕作地(果樹園か)だったことが痕跡で判る。
【右上】主郭  登りはじめて約25分、主郭に出るが藪に覆われている・・・城域東側半分は 現在も果樹園などになっているようだ。そのため遺構の状況はわからないが、郭をそのまま 耕作したものと思われる。背後に見える山は薩た峠、北条軍が陣取った山並み。

【左上】主郭より南側麓  南側麓には居館があり土塁をめぐらしていた。現在民家があり 詳細は判らないが、敷地の部分が跡であろうか。
写真中央上、川の向こう側尾根先端部が旧東海道薩た峠がある場所。海に近い所だが、 武田、北条軍が築いた砦はもっと内陸側となる。
【中上】主郭より北方面  興津川上流方面で甲斐へと通じる道が通る。
【右上】対岸の山より横山城  興津川対岸、薩た山側から横山城を見下ろす。 写真中央の先端部が城域で、背後に山が連なっているのがわかる。


横山城は現在、登城してもほとんど藪のため状況がつかめない。道もついていないので、 藪をかき分けて入っていくのが好きな人以外にはオススメできない城である。


〜霊泉寺〜


霊泉寺は穴山信君(梅雪)開基の寺である。
天正3年(1575)8月から同10年2月まで8年間、 江尻城の城主であった。 天正9年6月所領であったこの地に寺領を寄進して霊泉寺を創設。翌10年6月宇治田原に没した。
信君の供養塔がある。

<場所>清水市興津井上町
<行き方>国道52号興津大橋を渡って興津川を北上
約1q先右側
<駐車場>10台
<撮影日>2005年2月



本堂裏手の墓地の中へ進み、階段を上った高台にある。



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