明智城

あけちじょう




明智城の築城は宝治元年(1247)遠山明智氏の祖 遠山景重といわれる。
戦国時代になり武田信玄に従っていた遠山氏は岩村城城主の死を機に武田氏から離れ織田信長に従った。 信玄は元亀3年(1572)11月、 秋山信友に岩村城を攻略させ、 12月には明智城も落ちた。
天正2年(1574)信玄没後、再び勝頼によって明智城は信長から奪還されたが、翌年の 長篠・設楽原の戦いで勝頼が敗れると、 信長の嫡男信忠が岩村城を攻め、明智城は岩村城と共に 落城した。
家康に従っていた遠山明智氏は江戸時代に入り、再び入城するが、元和元年(1615)の 一国一城令で廃城となり、陣屋を山麓に置くことになった。
遠山明智氏はそのまま12代を経て明治に至った。
<場所>恵那郡明智町城山
<行き方>山岡方面より国道363号市場町信号直進 約300m先県道33号へ左折し800m先
案内杭を右折してすぐ搦手口
<駐車場>搦手口 3台
<撮影日>2004年6月


【上】大手口  現在の明智市街地からすこし登った所で、江戸時代には陣屋が置かれていた。 背後の山が明智城。

【左】縄張り図  山頂部に主郭といくつかの郭があり大手道は谷の中を登って行くが、周りには砦が各所にあり 防御は固い。

【左上】搦手口  ここから一旦谷へ降り、再び登って行く。本丸まで約10分。
【中上】搦手道  道の左側上は搦手砦。
【右上】東の丸  ここには大きい貯水池があり、二の丸と出丸に囲まれる一段低い位置にある。

【左上】出丸手前  東の丸からさらに行くと二の丸と出丸の間の尾根鞍部に出る。出丸には 石垣の門跡が残っているというが、自然の石を利用した感じがする。写真の奥が出丸内部。
【中上】二の丸  本丸の東下に位置している。
【右上】本丸  東側二の丸、西側三の丸からは切岸による急な道を登ると本丸。北側は急崖で 南下には三の丸から続く腰郭がある。

【左上】三の丸  本丸西下に位置し本丸、二の丸の南下の腰郭から出丸へとそのまま続く。
【中上】空堀  自然の谷を利用したもので、大手道の脇に位置する。
【右上】大手道  城域西側から登る道で約15分で本丸まで行く。この先左手上に大手門東砦がある。

【左上・右上】大手門跡と堀  江戸時代になりこの大手門近くに陣屋が置かれることになった。
この門跡の両サイドに水堀が残っている。

【左上】陣屋跡  大手門から内部に入っていくと背後に城へと続く高台があり、方形に平地が 広がる。現在は民家が建っているが、土蔵と村上氏の代官屋敷がそのまま昔の面影を残している。
【右上】陣屋跡より明智の街並み  山間部の町だが、信濃、三河両国と美濃国との境界に 位置する交通の要衝である。

【左上】龍護寺  陣屋の北方約100mに位置し、遠山氏の菩提寺で本堂左側に累代の墓がある。
【中上】明智光秀供養塔  山門入口手前にある。光秀伝説の伝わる寺。光秀は土岐氏の支流である 明智氏で、遠山氏とは異なる。
【右上】遠山氏累代の墓  元亀3年に没した景行から文政11年(1828)に没した景珍までの 大きな墓石が並んでいる。
   


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