青山城

あおやまじょう

《別名》 割谷城・城山 




青山城の築城年代については定かではないが、『青木家家譜』によると、天慶の乱後、藤原成文の後裔 氏宗がここに居住し、青木氏を名のり、鎌倉幕府、関東管領に累代仕えたとしている。
『関東古戦録』によると松山城に 上田朝直、朝広を置いて、青山城、 腰越城を守らせたとあり、 戦国期には北条氏の松山城の支城として重要な役割を担っていたと考えられる。
<場所>埼玉県比企郡小川町下里
<行き方>県道30号愛宕公園下バス停東へ入る
青山第2踏切を渡って突き当たり左折
約200m先 仙元山登山口より
<駐車場>登山口手前 2台
<撮影日>2005年8月
<参考書籍>『日本城郭大系5』
<参考サイト>城と古戦場

【上】小川町役場付近より  写真で最も高い地点が仙元山頂。城域は右側(南側)の尾根上 にある。
登山口から尾根にでるまで約15分、そこから山頂とは反対方向へ約5分で城域に入る。
また、麓を流れる槻川に沿って鎌倉裏街道が通り、松山城と 鉢形城を結ぶ道の押さえとなっている。

『青山城要図』



【左上】三の郭南側堀切  小倉城の 主郭南側堀切と同じように岩を垂直に削ったような堀切となっている。
【中上】三の郭  堀切から郭の西側に回り込んで入る形となる。『大系』によると大手道は 城域東の谷筋を登って三の郭に入るようだが、現在は藪となっている。
【右上】主郭  主郭には周囲に土塁が確認できる。尾根が主郭から三方に広がる為、各方向に 虎口があり、南西側は二の郭、南東側は三の郭と繋がっている。北側虎口外には郭が無いが、 虎口に工夫が凝らされている。

【左上】北側虎口の空堀  北側虎口は北条氏の影響を受けたと思われる、横堀と土塁によって 守られた桝形虎口が見られる。
【右上】二の郭北側堀切  主郭より二の郭へは二条の堀切があり、その間は小郭 を形成している。

【左上】二の郭東側帯郭  二の郭下から主郭下まで続き、主郭と二の郭との堀切部、 主郭と三の郭との堀切部に繋がっている。城域南側の長大な防衛線となっていると同時に 二の郭南側虎口と三の郭方面との連絡通路として 機能していたのではないか。
【右上】二の郭南側虎口より  坂虎口となっており、下部には狭い削平地がある。


〜感想〜
戦国期には松山城の支城だったことが文献によって知られるが、主郭北虎口の構造を見ると北条氏の 影響を感じることができる。
支城であるがためにか規模は小さいが、主郭北虎口の造りや長大な帯郭とそれに繋がる堀切など 興味深いものがある。



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