琵琶島城
びわじまじょう

《別名》宇佐美城 新潟県柏崎市元城町



―歴史―

南北朝期、宇佐美氏が越後国守護上杉氏に従って越後に入国し、琵琶島の地を拠城とした。
守護代長尾為景が台頭してくると、宇佐美房忠は上条城の上条定憲と共に守護上杉定実を擁立し、為景方と戦った。 しかし、房忠以下一族がことごとく討死し、房忠の子息のみが羽前の伊達稙宗のもとに逃亡した。
謙信期の宇佐美氏や琵琶島城主については不明な点が多くある。軍記物などでは永禄7年(1564)7月5日、宇佐美定満が上田長尾氏当主政景もろとも溺死した記事が有名であるが、一級史料・文書では確認できない。
永禄11年(1568)8月10日の「上杉輝虎書状」では、謙信が武田信玄の信濃・長沼侵攻に備え、関山の防備を強化した際、 宝蔵院以下に指令を与えたが、その宛所の中に「宇佐美平八郎」という人物がみえる。
一方、宇佐美氏に代わって、琵琶島弥七郎なる人物が天正元年(1573)頃から史料上に登場する。この弥七郎は宇佐美一族の可能性が指摘されており、琵琶島城を拠城としていたと考えられる。
天正12年(1584)には、景勝の家臣桐沢但馬守具繁が入城したが、慶長3年(1598)、景勝の会津転封によって廃城になったとされている。

【上】琵琶島城跡 鵜川の改修・高校建設・畑作などで遺構は破壊され、現在、遺構は確認できない。県立柏崎総合高校の敷地に主郭があったとされる。高校の裏手に琵琶島城趾の石碑が建つ。


【左】鵜川上流方面
約6km上流に上条城がある。
琵琶島城は鵜川の蛇行している部分を利用して築城された城だった。鵜川神社所蔵の「琵琶島城絵図」には「東曲輪」や「金曲輪」などが描かれており、発掘調査によっても城域の大きさは確認されている。

―感想―

当時はかなり規模の大きい城だったようだが、現在、その面影はまったく見出せない…


行き方 国道353号線より、柏崎総合高校を目指す
駐車場河川沿いの道路に路駐
撮影日2010年9月
更新日2013年11月13日
参考文献 ・『日本城郭大系』7巻
・『日本歴史地名大系』新潟県
・西澤睦郎「謙信と越後の領主」(池享・矢田俊文編『定本 上杉謙信』、高志書院、2000年)
・中野純「柏崎市琵琶島城跡の調査概要」(『新潟県考古学会第15回大会研究発表会発表要旨』、新潟県考古学会、2003年)
参考サイト埋もれた古城