伏見城

ふしみじょう




豊臣秀吉は文禄元年(1592)新たな隠居所として、伏見に屋敷を造営した。しかし、慶長元年 (1596)の大地震によって倒壊したため、木幡山(桃山)に再建をした。 秀吉死後の同3年に至っても未完成だったといわれる。
同4年に徳川家康は石田三成を佐和山へ追放し、 前田利家死後、伏見城に入った。
同5年関ヶ原の戦いが始まり、西軍の小早川秀秋、島津義弘は鳥居元忠が守る伏見城に猛攻を加え、 落城した。
家康は同6年には再建し、ここで将軍宣下をうけた。その後、一国一城令により、伏見城も 元和9年(1623)家光の将軍宣下を最後に破脚され、同年に築城の始まった淀城に建築物、 機能共に吸収されていった。

<場所>京都市伏見区桃山町
<行き方>国道24号より伏見北堀公園へ
<駐車場>公園駐車場15台
<撮影日>2004年9月

【上】伏見城模擬天守

【左上】模擬天守周辺  現在模擬天守のあるところは、本来の城域北側麓にあたり、 以前「伏見桃山キャッスルランド」という遊園地があった。
2003年に倒産し、模擬天守以外はさら地となっている為、殺風景な状態だ。天守を残す 運動があったらしい。模擬とはいえ、大、小天守がありかなり立派なもの。 ただし敷地の周りには柵が巡らされており、立入禁止となっている。
【右上】北堀  城域の北側には北堀の痕跡が残っている。その他にも 堀跡は数カ所北側で確認できる。

【左上】本丸の尾根  城域中央部から南側にかけては、明治天皇、昭憲皇太后の陵墓があり、 付近一帯立入禁止。ちょうど明治天皇の陵墓の北側背後が本丸付近になる。
【右上】陵墓より南側の眺め  宇治方面が一望できる。伏見城は比高が80mあるが、実際 はそれ以上に感じる。丘城の形態であり、平城のイメージがあった私には少し意外であった。
しかし、歴史的にかなり有名な城のわりには、見どころが少なく(見ることができないのか・・・) 残念だった。



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