岐阜城




元々の名を稲葉山城といったこの城は斉藤利政(道三)が100年間廃城になっていたものを、修築して 居城とした。
美濃守護の土岐氏は最終には斉藤利政に国外へ追放され、利政は名実ともに美濃の領主となった。
後、入道し山城守道三と名乗り、その政治、戦法など側に仕えた明智光秀、娘婿織田信長らに多大な影響を与えた。
永禄10年(1567)城主 斉藤龍興はそれまで信長の攻撃をしのいでいたが、ついに力尽き脱出した。 信長がこの城に入った時、禅僧沢彦の言により井之口を改め、岐阜の名を用いた。
周の文王が岐山より興って天下を平定した故事によるものである。
その後安土城に移るまで10年間信長はこの城を拠点に活動した。

<場所>岐阜市天守閣
<行き方>国道256号長良橋南を公園側に入る
<駐車場>ホテル松げん目指して行くと長良川河川敷に
無料駐車場あり その他もっと近くに有料あり
<撮影日>2003年7月


左上 長良川対岸より金華山 山頂には復興天守が小さく見える。  右上 城への道 麓から4本くらい 登山道があり、この道は一番北側にある全長2.3q現在ハイキングコース「瞑想の小道」。 「水の手口」ともいわれている。40分以上かかるがロープウェイなど使わず、是非徒歩で! 

途中の見晴台より 山の北側が一望できる 右は長良川上流方面

左上 本丸と二の丸の間にある井戸 2.5m*5m、深さ4mある城内最大の井戸  右上 二の丸より天守閣


ロープウェー山頂駅展望台より 山の真下が信長館跡になる   天気が良ければ濃尾平野を一望できるようなすばらしい展望。 ただし登るのが大変だった・・・

信長館跡 金華山西麓にある 通常はこの館で暮らし、戦になると山頂の城を使用する事になる。
昭和59年から発掘調査が行われ、現在は公園として保存されている。
この遺構の下にさらに古い時代の遺構があることが確認され、それらは稲葉山城の時代 斉藤氏に関わるものという可能性が高いとの事。

↓遺構の説明板と若き日の信長像 


「天下布武」の朱印   長良川河川敷より岐阜城天守を眺める



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