八王子城
 はちおうじじょう

東京都八王子市元八王子町・下恩方町



―史料からみた八王子城と北条氏照―

築城者である北条氏照は、小田原北条氏当主の三代目氏康の次男として天文9年(1540)頃に生まれた。若くして滝山城主大石定久の養子となり、最初は大石源三、その後北条氏照と名乗った。
滝山城主となったのは、永禄2年(1559)頃で、小田原城の支城主として活躍し始め、永禄末年頃には北条氏の軍事・外交を担うようになった。
天正10年(1582)を過ぎると、織田信長の後継者となった豊臣秀吉による天下統一が急速に進められていき、北条氏も去就を求められるようになる。このような情勢の中で、氏照は滝山城に代わる新しい城を築き始める。これが八王子城で、築城工事を続けながら、天正14年(1586)末頃には、滝山城から移転した。
天正18年(1590)3月、秀吉は大軍を率いて小田原城に向かい、4月には小田原城を包囲する。これとは別に、前田利家・上杉景勝らの率いる北国勢の大部隊が信濃から上野へ攻め込み、北条方の諸城を落としながら南下し、八王子城に迫った。
こうして、6月23日、小田原城籠城中の城主氏照を欠いた八王子城は、大軍の猛攻を受けて一日で落城した。(現地案内板)

【上】高尾山から見た八王子城
八王子城の南方約3.2qに位置する高尾山から、八王子城の要害である深沢山がよく見える。その下をえぐっているトンネルは圏央道。

―立地―

八王子市の西部、現在の元八王子町および下恩方町を中心とした地域に位置し、昭和26年(1951)に国の史跡に指定され、その指定面積は現在では約159ヘクタールと広大な範囲に及んでいる。
現段階で想定されている縄張りは標高460mの深沢山山頂を中心とする「要害地区」、御主殿やアシダ曲輪などの館跡が存在する「居館地区」、城下町に相当する「根小屋地区」、城山川を隔てた尾根上の「太鼓曲輪地区」とその南側の谷を占める「御霊谷地区」に大別される。

八王子城史跡区域全体図(現地案内板)


―現況(居館・根小屋地区)―

【左上】ガイダンス施設
八王子市では落城400年を機に、御主殿や古道の整備を実施し、平成18年(2006)に日本100名城のひとつに選定された。同年には駐車場の新設や案内板、同24年(2012)には根小屋地区にガイダンス施設が設けられ、同25年(2013)には御主殿内部の復元整備が進められている。
まさに「おもてなし」精神で観光地化されており、居館・根小屋地区主要部くらいなら手ぶらできても城攻めできる。要害地区に登る人もここでパンプレットをもらえば、見どころなど多くの情報が得られる。

【右上】ガイダンス施設の外にある城域の立体模型
山城を知らない人でも理解してもらえるだろう。

御主殿遺構分布図(現地案内板)


【左上】御主殿跡
建物の礎石位置や建物の床部分を再現している。案内板も充実。

【右上】庭園跡
会所と主殿の建物に囲まれた範囲に、大小の礫を配した庭と考えられる遺構が見つかっている。


行き方 都道61号八王子城入口信号を入って直進約1q。
駐車場無料駐車場 10台以上
撮影日2005年7月、2013年8月
更新日2015年11月16日
参考文献 『日本城郭大系』5
『新八王子市史』資料編2中世
参考サイト八王子市HP 八王子城跡
余湖くんのホームページ
城と古戦場






〜以下、2005年7月訪問時の状況〜



【左】根小屋地区より本丸方面
根小屋地区の先、山麓部から本丸まで徒歩約40分の登山となる。
【左上】金子曲輪周辺  麓のアシダ曲輪から金子丸を経て本丸に向かう。本丸へ向かう道は何本か あるが、このルートが一番整備されている。金子丸までは段郭が続く。

【右上】小宮曲輪下から八王子市街方面  この日はあいにく見通しが悪かったが、武蔵野台地が ほぼ見渡せてしまう。すぐ下には根小屋地区も見える。

【左上】松木曲輪  本丸下東側には大きな曲輪が連なる。その南端部松木曲輪から中の丸(八王子神社)部分。 神社背後から本丸、小宮曲輪へと登っていくことになる。

【右上】本丸  本丸自体は20m四方くらいの狭いところ。

【左上】小宮曲輪  東西に細長く約80mはある。本丸と比高は同じくらいで、本丸と小宮曲輪が 並立するような形となっている。

【右上】「馬冷やし」  松木曲輪から詰城方面へ向かう途中の巨大な堀切。松木曲輪から「富士見台方面」 の案内板を頼りに、少し下り山腹の道を馬冷やしまで行く。ここから道は尾根上に戻り、詰城域までつづく。

【左上】詰城への道  詰城域の尾根上には石塁の痕跡を窺わせるものが続いており、数条の 竪堀も確認できる。

【右上】「大天守」  詰城域最上部が大天守とよばれている場所である。狭い削平地だが、北の尾根 上には段郭が続いている。また、西側は「馬冷やし」以上の大堀切によって防御されている。その先、 富士見台周辺も城域とされているが、今回はここで引き返す。松木曲輪から大天守まで約15分。

【左上】御主殿上石垣群  山王台と御主殿をつなぐ道の途中に石垣群が見られる。

【右上】曳橋より御主殿方面  大手道は城山川南側から曳橋を渡って、御主殿に行くことになる。 大手道南側の尾根上には太鼓曲輪中心として防御線がある。

【左上】御主殿虎口部分  曳橋を渡ると通路はコの字型となっており、急な階段を上ることになる。 山中城へと発展する 北条氏の虎口、屈曲スロープを利用している。

【右上】御主殿内部  城主北条氏照の居館があったと考えられている場所で15m以上も盛り土をしており、 大規模な普請が行われた。庭園もあったようである。この付近 一帯は発掘調査が行われ虎口部分などは復元されている。


―感想―

主要な曲輪から延びる尾根上には段郭による防御が徹底しており、防御にはかなり気を使っている。 御主殿と山王台との途中にある石垣群は見応えあるが、狭隘な谷底にダムのような感じで4段くらい続いており、 曲輪形成の為というより、土砂止めの役割をしている感じがする。 城域はかなり広く、各拠点が本城域を取り巻くように分散しているようである。一つ一つは それほど大きいものではなく、単純に見て一番の見所は御主殿付近となってしまう。 ただ、これは氏照が八王子城において目指していた縄張りなのかもしれない。