檜原城
ひのはらじょう

東京都西多摩郡檜原村本宿



―史料からみた檜原城―

築城時期については不明である。
永禄2年(1559)成立とされる北条氏家臣団の所領役高を記した帳簿である「北条氏所領役帳」には、武蔵小山・檜原・平山の領主として記される平山氏重を筆頭として、坂本・土屋・来住野氏が編成されていたことが確認できる。

天正8年(1580)、武田・北条両氏の対立が深まり、甲武国境地域である西原・棡原(山梨県都留郡)や小河内(東京都奥多摩町)で戦闘が行なわれた。坂本・小崎・来住野氏等には北条氏や平山氏重から感状が発給されている。

小田原北条氏は甲斐武田氏の侵攻を阻止する目的でここに城を構え、平山氏を配して緊急時には多摩地域の武士たちに対し平山氏の指揮下に入るよう命じていたものと思われる(『大系』)。

また、武田・北条両氏が対立した時期、北条方の境目の城は青梅御岳山や檜原城だったことが指摘されており(宮崎2013)、武田氏領が武蔵側へかなり入りこんでいたことが窺われる。
【上】檜原城からの眺め
城域から東側方面、北秋川・檜原街道に沿って街並みが広がっている。
戦国期、甲斐と武蔵を結ぶ交通は「本筋の直道としては大菩薩峠を越えて丹波山(後には小菅も)に出て、多摩川渓谷を下って小河内の川野・日指から檜原谷に出るものであった」という説がある(『五日市町史』)。
そうであるならば、檜原城はまさに対武田氏のための境目の城であり、北条氏にとっては武蔵防衛のための拠点だったことになる。

檜原城縄張図(現地案内板)


【左上】郭部分
吉祥寺から約20分、登山道を登ってくると城内で最も大きい郭に出る。南北に続く尾根に郭が連なっているが規模は小さい。

【右上】堀切
堀切東側は竪堀状に山裾へ続いている。

【左上】主郭
城域南端の最も高いところに位置する。背後には堀切が2条確認できるが規模は小さい。

【右上】吉祥寺
登城口は裏手の墓地から。

―感想―

檜原城は史料から想定する境目の城としての機能を果たすには小規模な普請であり、期待を裏切られた感がある。街道を監視する役目を果たしていたであろうことは理解できるため、周辺の諸城と機能を分散していた可能性もある。



行き方 都道33号檜原街道、橘橋交差点を吉祥寺へ入る。登城口から徒歩約20分。
駐車場吉祥寺駐車城借用 10台以上
撮影日2015年5月
更新日2015年11月8日
参考文献 『日本城郭大系』5
『五日市町史』(五日市町史編さん委員会編、1976年)
宮崎賢一「戦国期における武蔵と甲斐の「境目」について―檜原衆平山氏・小河内衆杉田氏の動向を中心に―」(『文学研究論集』明治大学大学院、2013年)
参考サイト埋もれた古城
余湖くんのホームページ
古城址探訪