燧ヶ城

ひうちがじょう




『源平盛衰記』によると 寿永2年(1183)、平維盛の軍を討つために木曽義仲が仁科守弘に築城させ、前面を流れる 日野川を塞き止めて水を満たし、六千余騎を率いて立て籠もった。しかし、援軍に来た平泉寺長吏 斉明が平家側に内通したため、燧ヶ城は落城した。
その後、南北朝時代には、今庄入道浄慶が居城とし、足利軍に属して新田義貞を攻めた。
戦国時代には斯波氏臣赤座但馬守、魚住景固、そして一向一揆の際には本願寺坊官の下間頼照等が 立て籠もり、信長軍に抗して敗れ、柴田勝家がここを守った。

【左】北西より燧ヶ城  西側には越前平野から木ノ目峠、栃ノ木峠を経て近江に通じる街道が通る。 尾根が街道側へせり出しており、街道の通る谷はここで極端に狭められている。
<場所>福井県南条郡南越前町今庄
<行き方>国道365号より今庄駅方面へ入る さらに西へ 約200m新羅神社より登山道有り
<駐車場>今庄駅東側 今庄総合事務所駐車場利用
<撮影日>2005年9月
<参考書籍>『日本城郭大系11』


【左上】虎口部の石垣  新羅神社から約15分で大手口に到着する。東西に延びる平坦な尾根上に 郭が大きく分けて3つあり、主郭部に入る虎口にエル字状の石垣がある。堀切を渡ってすぐのところに あり、桝形を形成していたようである。この遺構はおそらく柴田勝家時代のものであろう。
【右上】主郭部への階段  さらに進むと階段があり、1m程高くなっている。

【左上】主郭  城域ほぼ中央部の一番高所に位置する。郭中央部に石垣があるが、『大系』では 後世のお堂跡としている。
【右上】主郭より北側、今庄の眺め  中世から京と越前を結ぶ街道の要所として栄え、 江戸期には北国街道の宿場町として繁栄した。

【左上】西郭  主郭の西側にも大きな郭が有り、搦手部分には土塁が確認できる。
【右上】搦手虎口  主郭より西側には石垣は無く、古い時代の遺構のようである。


〜感想〜
大手部分の堀切の南側は東に折れて大手郭を取り巻く横堀となり、そのまま竪堀として斜面を下る。
主郭の南側には腰郭が二段あり、南側に対しての防御意識が感じられる。
木曽義仲の時代の城というイメージが強かったのだが、大手から主郭にかけての 現在の遺構は、戦国期の改修が行われているようだ。



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